【北区】飛鳥山公園の桜
令和3年12月撮影
東京都北区 飛鳥山公園
八代将軍徳川吉宗が享保の改革で、飛鳥山を桜の名所としました。その際に「常陸国磯部、桜川のヤマザクラ」が移植されました。これは皇居や小金井、またはそれ以前の隅田川同様で、桜川の威厳、歴史を江戸城の鬼門である飛鳥山に移設したと考えられています。このことは非常に重要です。本当に日本の桜史において「桜川」は偉大です。
【飛鳥山碑】【桜賦の碑】を見てきました。 現在、飛鳥山公園のサクラは約600 本。そのうちソメイヨシノが約400 本、残りの200本はヤマザクラやヤエザクラなどです。
有名な歌川広重の名所江戸百景「飛鳥山北の眺望」には筑波山が描かれています。
渋沢栄一が晩年を過ごした飛鳥山。はじめて行きましたが感動しました。「万朶の桜」となる春に再訪してみたいものです。
令和3年12月撮影
飛鳥山碑(あすかやまのひ)
徳川吉宗公が飛鳥山に桜を植樹した経緯などが記された石碑。
令和3年12月撮影
歌詞をつけて歌ったサラブライトマンの「ネラ ファンタジア」としても有名な、エンニオ・モリコーネの名曲「ガブリエルのオーボエ」を吹いている女性が飛鳥山碑の真裏に。ちょっと感動しました。
令和3年12月撮影
象山先生櫻賦の碑
信濃国松代藩士の佐久間象山は、幕末の志士に影響を与えた儒者です。賦(ふ)とは、中国古典文学の代表的な文体のひとつで、櫻賦は象山が門弟吉田松陰の密出国の企てに連座し、松代に蟄居中の万延元年(1860年)に造られたそうです。
「皇国の名華あり、九陽の霊和を集む」と始まる櫻賦は、日本の国花である桜が春の光の中で輝く様を描写し、「桜の花は見る人がいなくても芳香をただよわせる」と結んでいます。これは蟄居中の象山が、勤王の志を桜に託した誌といわれています。
これはまさに藤田東湖先生の「正気の歌」と万朶の桜に代表される尊王の心と桜花観といえるでしょう。
令和3年12月撮影
十月桜が満開でした。
令和3年12月撮影
今年は大河ドラマ「青天を衝け」で注目された渋沢栄一。
水戸の桜花観を受け継ぐ偉人です。
令和3年12月撮影
青淵文庫。
令和3年12月撮影
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