【桜随筆005】ヤマザクラとの出会い

それまでヤマザクラというと、単に野山に咲く桜のことかと思っていました。ヤマザクラが桜の品種のひとつだと意識したのはこの桜との出会いがきっかけです。

いわき市田人町旅人という山間部に樹齢300年以上といわれるヤマザクラがあります。御影石の割れ目に発芽して、長い年月を経て石を割りながら大きく成長した桜で、「石割桜」と呼ばれています。

近くにある理容所のおばあちゃんから教えていただいて知ることができました。おばあちゃんは旦那さんとよく一緒に見に行っていたそうで、石割桜はヤマザクラだから他の桜よりも遅く咲くとか、満開と同時に散り始めることなども教えていただきました。

いわき市の平野部では桜の見頃(一般的なソメイヨシノ)は4月10日ぐらいです。ところが同じいわき市でも田人地区となると標高が高いため気温の差から見頃は5日ぐらい遅くなります。桜の品種がヤマザクラとなるとさらにもうちょっと遅いとのことでした。

この日4月20日は運よく満開でした。まず驚いたのが、その名の通り石を割って四方八方に伸びる幹と枝の迫力です。眺める方向によって印象が大きく変わり、道路沿いのロケーションも絵になります。そして歌が書かれた標柱や馬頭観音の石碑などが、より桜を味わい深いものにしていると思いました。

はじめてのヤマザクラ。ソメイヨシノのような大きくてボリュームのある花で、シダレザクラとはだいぶ印象が違います。近寄ってよく見ると、赤い若葉がたくさんついてました。ソメイヨシノの終わりかけ、いわゆる葉桜に似ているような印象でした。

後で知ったことですが、これは決して葉桜ではありませんでした。開花と同時に若葉が芽吹く、この風情こそが、古くから日本人に愛されてきたヤマザクラの美しさだったのです。

この時驚いたのが、朝7時にもかかわらず、石割桜にはすでにカメラマンが何人もいらっしゃっていたことです。

知る人ぞ知る桜だと思っていたのですが違いました。桜に「一本桜」という人気分野があること。それらを被写体として狙うアマチュアカメラマン人口が年々増えていることなど、だんだんわかってきました。

「春遅し此の山里の桃桜」

その昔、陸奥国泉藩の二代藩主、本田忠籌が江戸幕府老中を辞任して隠居の身となっていた頃、病の療養で泉町下川の鉱泉へ出かけた際に詠んだ句といわれてます。

また、石割桜の傍にはこの歌が書かれた標柱が立っています。そこには、1801年63歳で検分のために荷路夫に来た際この近くで詠んだ句と書かれていますので、いずれにしてもこの歌が石割桜のことを詠んだものかは定かではありません。

茨城県の桜

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