【001】川上千尋さん

昭和58年に茨城桜見立番付(当記事の最後に掲載)を発表された常陸太田市の川上千尋先生(84歳)にお話を伺いました。 太田一校の校長先生もなさった方です。

平成29年11月26日午前9時、太田一高正門で待ち合わせ。 

爽やかな秋空の下、ひとまず太田一高の桜を案内していただきながら、様々なお話をお聞きしました。 その後川上先生のご自宅へ。 奥様とともに貴重な資料を見せていただきながら、茨城の桜、番付への思いなどをお聞きしました。 

 以下、順不同ですが、対談形式にまとめました。 

写真 太田一校のソメイヨシノと川上先生



【川上さんにとって桜への思いをお聞きしたいです】 


特別桜にこだわってはいないですよ。20代の頃から樹木、とりわけ巨樹に興味を持って全国を歩きました。 



【なるほど。桜以外にもイチョウやケヤキ、松など様々な巨樹の見立番付を発表されてますね。】


よく調べたね(笑) 太田一高の教員として父親の後を継ぎました。父の千代松は33年間勤め、父の退職と重ねて私が赴任しました。私は太田一高には17年在籍しました。その後は佐竹高校、勝田工業に赴任しましたが、太田一高には親子合わせると50年ですね。この地に根ざして頑張りました。 教員なので学校の春休みや夏休みを利用して1週間、時には1ヶ月単位で全国の巨樹を訪ね歩きました。その時のことはこうしてノートにまとめてあります(※1) いつか写真とともに整理したいと思っていますがなかなかできなくてね。 しかしよくまわったでしょ。若かったからねぇ(笑) 

「その間家族はほったらかしでしたよ(笑)(奥様)」

家族がいたら足手まといになるからな(笑)

太田一高のソメイヨシノは、学校創建当時に植えられた茨城県では最も古いソメイヨシノのひとつです。樹齢120年以上。一番古いんじゃないかな、なにせ学校ができた時からあるんだから。土浦市真鍋小学校の桜と近い年代だと考えられます。 卒業入学シーズンに咲く桜。学校は桜と相性もよくマッチする。太田一高に限らず、日本の学校には桜が多いですからね。学校の歴史を背負った生き証人です。 

※1  全国の巨樹を巡ったスケジュールが記録されたノート



【先生が発表された番付のさくら群部門で太田一高と真鍋小学校はともに横綱ですね、地元太田一高の桜がこれだけ凄いと、これは全国巨樹行脚の原動力になってますよね?】


うーん、この太田一校の桜に刺激を受けたことは間違いないですね。また太田一校のソメイヨシノは生物学の観点から、観察する桜としてとても参考になったんですよ。ある時強風でソメイヨシノが根元から折れて学校から電話があって駆け付けました。これはその時の写真です(※2)

太い幹の中には無数の細かいひこばえと細根が密集していて、それが折れた幹からモサっと出てきました。外見からはわからなかったけれど、この老木の中ではこのように大量の細根が水を吸い上げて枝葉に送っている。また幹の中のひこばえが、枯れかかった巨樹を支えているのです。これにはびっくりしましたね。感動しましたよ。 この細いひこばえがうまいこと太くなると、やがて枯れかかった幹の中や周りから伸びて成長して桜を支えるようになる。そうなると2代目の桜です。 

たとえばこっちのソメイヨシノはそのことをよく現した良いモデルです(※3) 

ウロ(空洞)の中からひこばえが幹の中を伸びて大きく成長しているでしょう。支えているんですね、親子共存です。 


※2 先生が持参された資料 幹の中から大量のひこばえ細根が出ています。

※3 ひこばえが成長して巨樹を支えている。川上先生いわく研究対象として良いサンプルとのこと。



【確かに茨城町大戸の桜などはひこばえが成長して完全に世代交代していますね。一見皮だけで生きているように見える那珂市額田神社のヤマザクラなども、皮の裏側にはこのようにひこばえが密生しているのでしょうか?】


そう、大戸の桜ね。その通り。うん、額田神社ね、皮の裏にはひこばえがたくさんあるはずです。それが桜を支えています。 

茨城町 大戸の桜 

推定樹齢500年~800年といわれるヤマザクラ。

徳川光圀公も愛でたといわれ、歴史的にみても茨城県内最高峰の名樹。 

川上先生の茨城桜見立番付(昭和58年)では「名誉横綱」とされています。

大正時代には三好学博士が調査に訪れ、シロヤマザクラとして日本一の評価をされたそうで

磯部櫻川のヤマザクラとともに国指定天然記念物となってます。

幹が健在な頃の写真(大正時代)が現地案内板に掲示されてますが、 現在は主幹が朽ち果てており、ひこばえが成長して今の姿まで復活したようです。

平成24年に訪れた時には幹の周りが柵で囲まれていましたが、平成25年以降その柵は撤去されました。おそらく柵が水捌けを悪くして桜を痛める原因であったと思われます。 

この大戸の桜については、所有者である斉藤さんにお話を伺ったので、別の機会にレポート記事で紹介したいと思います。

那珂市 額田神社のヤマザクラ

徳川光圀公ゆかりの神社参道に咲く、樹齢500年以上とも言われる古木で、川上先生の茨城桜見立番付(昭和58年)では「西の横綱」に格付けされています。 

根元の幹は空洞化していますが、花付きは良好。

皮の裏側には無数のひこばえと細根があるはずだと川上先生。 



【番付を作ったきっかけはどのようなことだったのでしょうか?】  


関右馬允(せきうまのじょう)さんの「茨城縣巨樹老木誌(上巻・昭和11年、下巻・昭和15年)」が私の原点。この書籍がなければ茨城県にこのような桜の名樹があることは知らなかっただろうから、これが私の原点と言っていい。 私は生物学専門だからね、好きなんだね自然が。 番付という手法は、比較対象の面白さ、ファンである大相撲番付の良さを反映させたんです。 



【関右馬允さんの茨城縣巨樹老木誌は私も茨城県立歴史館の文書館で拝見しました。写真も豊富で貴重な記録ですね。川上先生は写真などは残されてないんですか?】


 少しはあるけど全然整理できてなくてね。やらなきゃいけないんだけど、整理したらお見せしますよ(笑) 



【番付に記載されている昭和58年という日付は、あくまで番付を発表した年であって、昭和58年に咲いていたという基準ではないですね?つまりこの番付は昭和の集大成といってしまっても過言ではないのかなと思いました。】 


その通り、番付は昭和50年代に数年かけて調べたもの。記載の桜は全て自分で訪ね歩きました。 当時は今より不便だったけど、桜のことを教えてくれる人が地域にたくさんいました。ようは皆んな地域の古木を知っていたんです。桜を訪ねるとまた別の桜を教えてもらったりね。私一人ではこうはいかなかった。たくさんの人に助けられたんです。そういった意味では今の人は地元の古木を知らないから巨樹を探すのはなかなか難しい時代だね。 定期的に桜を訪ねて数年おきに番付を更新できたらよかったんですが時間がなくて結局できなかったんですよ。  



【番付はヤマザクラ部門、シダレザクラ部門、さくら群部門に分かれていますが、ヤマザクラが上段に記載されている理由はなぜですか?】 


特に深い意味はありません。 ただ、茨城県はヤマザクラが多く分布している。非常に大きく成長して古木も多い。一本一本違うのもヤマザクラの良さですね。  



【番付記載の桜について、覚えている範囲でそれぞれのお話を伺いたいのですが】


 うーん、年数が経っているから一本一本は覚えてないというか急には難しいなあ。  



【番付に載ってない桜がありますがなぜですか?当時知り得なかったということでしょうか?】


そう、番付に記載したものが当時調べた全てです。載ってない桜については私がたどり着かなかったということ。他にもたくさんある?ほーそれは素晴らしいことですよ。 番付は全部私の手書きです。とにかく大変でしたよ。え?原稿サイズ?こんなもんですよ(笑)  



【番付中央の昔日の名巨樹コーナーは、番付制作時点で枯れてない桜も入っていますか?このコーナーに記載されている八郷吉生の山桜とは神生家の殿桜のことではないでしょうか?】 


どれどれ、あ、ここは枯れてない桜も入っていますよ。吉生のヤマザクラは確かに神生家の桜で間違いないです。 



【この番付以前に、桜を番付した資料があったようなことは聞いたことがありますか?】  


いや聞いたことないですね。 



 【好きな桜、品種はありますか?】 


そうだねえ、学校の桜、これに尽きます。 

桜は人間との関わりが強い樹木。 学校の桜は卒業入学シーズンに咲きます。

例えば太田一高のソメイヨシノは創建当時に植えられました。学校の歴史とともにあります。

この列の向こう、ここに一番太い桜があったんですが、野球のバックネットを建造する際に伐採となったんです。でも今残っている桜もそれと同じ年代ですから古いですよ。 この桜の下には側溝があるでしょう? 最初は水が流れるところで、この下に桜が根を伸ばしているわけですから、うまくないなと思いましたが、大丈夫なんですね。桜はこうして元気に成長しています。この事例も勉強になりました。 

古い桜の近くには若い桜がありますが、これは寿命が尽きて枯れた桜の代継ぎとして生徒が植えたものです。 古い桜と若い桜の共存は、観察するサンプルとしても非常に優れていますね。 

新しい生徒が入学するように、身近な自然である桜も新しい桜に受け継がれる。 ひこばえという代継ぎ、植え替えという代継ぎ。これは素晴らしいことです。

こっちの桜はみんな若いでしょう?(※4) 下が通学路だから、古い桜の枝が落ちて危険ということで若い桜に植え替えたんです。 これらもみんな生徒が植樹したんですよ。 今見るともうちょっと間を空けて植えるべきでしたね。当時はこんな小さい苗だったからね(笑)  

※4 右下の道路へ枯れ枝が落下する危険性を踏まえて、若い桜に植え替えられたそうです。



【私は福島県の桜に魅了されて桜を追いかけるようになったのですが、茨城県の桜の魅力とはなんでしょうか?】


植物の分布には境界があってね。 茨城県の北部と福島県南部あたりはちょうどその境界線だから、桜に限らず茨城県は面白い地域なんです。北部南部両方の良さが出てる地域。北限植物南限植物が共存しているというか、魅力度は最下位だけど、自然の面白さは日本一だね(笑)  



【確かにヤマザクラなどは茨城県北、福島県南部のいわき市あたりが、天然分布の北限ですね。福島県はエドヒガンが凄すぎるというのもありますが、やはりそういった目線だと茨城県は面白いですね。海も常磐沖は潮目の海などと言われて豊かな魚介類が漁れることで有名ですが、この茨城県、常磐エリアは陸の自然にもこの潮目があるわけですね】


そう、茨城県は日本一です(笑) 



【こちらが私が撮り集めた茨城県の桜の写真です。大戸の桜から番付順にiPadにて閲覧】


大戸ね、あー偕楽園の左近の桜、泉福寺ここは立地が良いね、斜面でね。 般若院見事だね、外大野これもいいね~ここも環境が良い、斜面だからね水捌けが良いんだよね。ほー歓喜寺も見事だね。 



【さすが、写真をみてすぐどこの桜かわかるんですね】


 いやあ素晴らしいね。よくまあどれも満開で撮られている。これは大変ですね(笑)  



【これが平成26年から発表している茨城一本桜番付です。 川上先生の昭和番付に出会わなければ、茨城の桜を番付で発表というアイデアは生まれませんでした。番付に出会った平成25年にひとまず記載されている桜をまわってみたんです。そしたらほとんどの桜で枝が折れていたり、枯れてしまっていたり。 このことから平成の今咲き誇る茨城の桜をちゃんと記録しなければ、茨城県民の皆さんから忘れられてしまう日が来ると危機感を感じました。 川上先生が作った昭和の番付に習って、平成の番付を残さねばならないと勝手に使命を感じて引き継ぎました。】


これはよく出来てるね。いやぁたいしたもんだ。素晴らしいです。確かに枯れてしまう桜もあるだろうね。暇を作ってまた桜を巡ってみたいと思います。番付の引き継ぎはありがたい話です。  



【先生が定期的に番付を更新したかったとおっしゃりましたけど、私自身毎年番付を更新していての難しさも感じています。去年まで元気で番付上位だった桜が枝を伐採されて、止むを得ず翌年の番付でその桜を下位にすべきか悩ましいのです。いや下位にはしたくないなというか(笑)】  


なるほどねぇ(笑) しかしこの番付は内容が毎年進化しているね。実に見事、素晴らしい。 これだけのものを作るのは大変です。 



【私の場合桜の樹齢や幹周り、枝ぶりや花付きの良さ、周りの風景との調和、いわゆるロケーションの良さなどを判定基準としてます。自分が撮影した写真でそれを見比べて格付けしてます。番付を見てくれた方々に、説得力を出したいといいますか、翌年以降により良い写真が撮れたら番付が変わる仕組みです】


ほ~なるほどねえ。 



【番付発表の3年目からは、水戸桜川千本桜プロジェクトという植樹プロジェクトに会員として参加させていただきながら、代表の稲葉先生に水戸藩をはじめとする磯部桜川から続く茨城県一千年の桜史を学んでいまして、番付に茨城県の歴史観、桜史を最大限反映させてます。昨年の番付から偕楽園左近の桜を東の横綱としているのも、水戸藩の桜史を全面に出したいという思いや、また左近の桜は3代目といわれてますので、代継ぎ受け継ぎの象徴として取り入れている結果です。歴史観を封じ込めると、番付が一段と深まると考えました。その稲葉先生には番付で審判をしていただいてます。 

川上先生が太田の巨樹番付で、旌桜寺の旗桜を名誉引退の横綱に掲げてらっしゃることに感無量です。旗桜は源義家ゆかりの桜であり、また源氏の流れを組む光圀公も愛した桜ですので、まさに番付で表現したい歴史、茨城の桜史における重要な桜です。 それと川上先生の昭和番付からの進化も意識してます。先生の番付の横綱が千代の富士や北の湖ならば、私が横綱に掲げる偕楽園左近の桜は血統ある若い平成の大横綱、いわば貴乃花です】  


いやあ、たいしたもんだ(笑) かなり進化してるねぇ。 



【平成の桜番付発表もあと2回となりますが、先ほどの稲葉さんと他にもう一人、福島県会津若松市の高橋さんという方に審判をしていただいてます。この方も川上先生と同じく全国の桜を巡ってらっしゃる目の肥えた方です。 私の原点である福島県の桜を誰よりもご存知であり、茨城の桜にも詳しく、それも相当なる桜愛好家の方でありますので、審判として居ていただくことで、番付が引き締まると考えました。そこで先生にお願いがあるのですが、次回から川上先生お墨付きの番付ということで 「名誉顧問」として番付上にお名前を頂戴してもよろしいでしょうか?】


いや、これは大変光栄です。それはありがたい。私などの名前でよければどうぞ。  



【ありがとうございます。茨城県立歴史館の文書館に先生の番付が各種所蔵されてました。閲覧室でそれを拝見してコピーを頂きました。先生の番付の隣に平成番付を所蔵したく、それが私の最終目標です。先生の昭和番付をインターネット上に載せたり、平成の番付とセットで配布したりしてもいいでしょうか?】 


そうか、今は著作者とか権利とか色々あるからね(笑) もちろん、ありがたいことです。どうぞどうぞ。 



【ありがとうございます。私の活動は非営利です。川上先生のお名前を使ってお金儲けとかはしませんので、その点もご安心ください(笑)】


はい大丈夫、これはとても営利じゃできない(笑) ここまでのことは好きじゃなかったらできないよ。わかってますよ(笑) 私も当時番付した桜をゆっくりまわってみたいと思います。 



【では来年の番付ができましたら真っ先にお届けします。ありがとうございます】 


楽しみにしています。 



以上が川上先生に伺った内容です。 生物学の先生ですから、桜を捉える目線が専門的でした。 ご自宅では貴重な魚の標本や貝なども見せていただきました。 また、先生からは様々な資料をいただきました。 ひたち巨樹の会、代表世話人として発行されている「グリーンふるさと賛歌」の記事。 ひたち巨樹の会発行の「写真帖 茨城の松」。 常陸太田市文化財保護審議会委員として「広報ひたちおおた」に連載されていた「常陸太田ふるさと賛歌」の記事。 太田一高の校長、内田正人氏が綴ったソメイヨシノの記事。 その中で、高萩市出身でソメイヨシノの学術名をつけた松村任三博士に触れた記事がありました。川上先生が特に学校のソメイヨシノを一番に掲げている理由には、ご自身が学校に在籍していたことを含め、様々な思いがあるのだと感じました。 

茨城桜見立番付 昭和58年 川上千尋先生発表



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