【行方市】小貫の御前桜
平成31年4月撮影
茨城県行方市
『茨城桜見立番付』(昭和58年・川上千尋)に「北浦 小貫共有地」と記載されている桜。
北浦町は現在の行方市ですので、行方市小貫ということはわかりますが、小貫のどこの桜を指すのかわかりませんでした。
そんな中『関右馬允撮影 巨樹写真』(平成3年・ひたち巨樹の会)という資料を見つけました。
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小貫の御前ザクラ
行方郡北浦村小貫
目通り幹周囲3.7m、推定樹齢300年
現存しない
2代目がある
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その資料には御前ザクラの立派な写真とともに上記の記載がありました。
平成29年12月30日
小貫の御前ザクラの調査をはじめました。
手掛かりは旧北浦村小貫の共有地、平成3年に本が発行された時点では枯れていて、すでに2代目の桜が近くにあるというだけでした。
名桜はたとえ枯れても次なる世代の桜を植える「代継ぎ樹」という風習をよく聞きます。
有名な巨桜などを見に行きますと、その桜がまだ元気でも、近くに2代目を育てている場合があります。大子町外大野のシダレザクラや、龍ケ崎市般若院のシダレザクラなどがその良い例です。
小貫の御前ザクラについても、もしかしたら2代目が大きく成長しているかもしれないと思い、今回の調査に至りました。
ひとまず行方市小貫地区へ行ってみることにしました。
共有地ということは、現在は公民館の敷地であったり、神社やお堂があるような場所が考えられるので、Google Mapsでめぼしい場所を検索しながら、小貫地区内をまわってみました。
しかしそれらしい場所は見当たりません。
こういったことは、地区の年配者に話を聞くのが一番手っ取り早いので、住民の方を探すことにしました。
朝の清掃作業の帰りなのか、一輪車を押しているおじさんがいたので、この辺りで御前ザクラなる古い桜があった場所をご存知ないか尋ねました。
御前ザクラという名前は聞いたことがないけれど、もしかしたらすぐ近くの山にある神社に、昔大きな桜があった気がする、神社のご近所さんが詳しく知っているかもしれないとのことで、そのご近所のご主人を紹介していただきました。
そのご主人も、確かに大きな桜はあったけれども、それが御前ザクラというのは聞いたことがないとのことでした。
平成29年12月撮影
ひとまずその神社に行ってみようとおっしゃってくださり、3人で神社がある森へ向かいました。
神社手前のお宅のおじいちゃんが知っているかもしれないと裏庭から声をかけたところ、ちょうどいらっしゃってお話を聞くことができました。
するとおじいちゃんは、たしかに昔、お社の近くにかなり太い桜があったけれど、何十年も前に枯れてしまった。でも切株ぐらいはまだ残っているかもしれないとの事でした。
平成29年12月撮影
竹藪の中を進むと、小さなお社がありました。
「みこ神様(みこがみさま)」といって女の神様、御子(巫女)をお祀りしている、この地区の守り神だそうで、このお社がある山から、国道354号線を挟んだ向こう側の山には、男の神様が祀られた神社があって、2人の神様が向かい合っているのだそうです。
残念ながら長年の落ち葉によって、切株らしいものは見つかりませんでした。
しかし、このお社の前、国道側にせり出すように、ずいぶん大きなヤマザクラがありました。
平成29年12月撮影
このヤマザクラは満開になると素晴らしいらしく、国道側から写真を撮る人がよくいるそうです。
果たしてこの「みこ神様」のところに御前ザクラがあって、現在のヤマザクラが資料に記載されている2代目のことなのかは結局結論が出ませんでした。
神社ご近所のおじさんが、もしかしたら小貫地区の八幡神社に太い桜があったような気がするとのことで、八幡神社の場所と、神社を管理されているお宅を紹介していただきました。
平成29年12月撮影
早速八幡神社に行ってみました。
いつも感じますが、鹿行地域の神社は木の太さが段違いです。鹿島神宮があるだけに、それぞれの神社も歴史があるのでしょう。 広い社叢をくまなく探しましたが、桜は見当たりません。
社殿手前の参道に唯一桜の株らしきものがありましたので、皮を見てみるとヤマザクラに似ていますが、ほとんど朽ち果てていて判別できず。
そこでその切株の写真を撮って、教えていただいた神社を管理されているという御宅へ向かいました。
ご主人にて対応してくださり、これまでの経緯を説明しました。
しかしご主人、八幡神社に桜はないとキッパリ。
先ほど見たヤマザクラらしき朽ち果てた株の写真をお見せすると、あーこれはカシの木だよと。
こうなると、小貫地区の古老か、郷士だったという小貫地区で一番古い御宅に聞くしかないとのことから、そちらの2軒を紹介いただきました。
この日は他にも調査にまわる桜がありましたし、年の瀬ですのでこれ以上の訪問は避けました。
御前ザクラの結論は翌年に持ち越しとなりました。
平成30年1月2日
午前中いっぱい使って茨城県立歴史館文書館の閲覧室にて桜に関する資料を検索してきました。
お正月2日にも関わらず閲覧室は他にも利用者がいました。 歴史館スタッフの方々には頭が下がります。
そして今回も茨城の桜史において重要な資料を見つけました。
その中で、以前閲覧した『茨城縣巨樹老木誌・下巻』(関右馬允・昭和15年)に「小貫の御前ザクラ」が載っているではありませんか!以前も見たのに気がつきませんでした。
そこにはなんと!
【神子御前神社の境内にある「そめゐよしの櫻」である。御前櫻と呼ばれて居る】
とあります。
神子御前神社とは?
Google検索にて先日小貫地区のおじさん達に案内してもらった「みこ神様」の山と同じ山の写真を載せたブログ記事を発見しました。
ブログには「巫女御前」とあります!
みこ=神子=巫女
あのおじさん達のおっしゃっていた昔あった大きな桜。
おじさん達は「小貫の御前ザクラ」を見ていた!
つまり現在咲くヤマザクラが2代目、御前ザクラの代継ぎ樹の可能性が高いのです。
関右馬允氏によって撮影されたのが大正末期もしくは昭和初期です。
つまりおおよそ100年前となります。
その後御前ザクラは枯れた。
関右馬允氏の『茨城縣巨樹老木誌』を自身の原点とする川上千尋先生によって、昭和58年『茨城桜見立番付』に「北浦 小貫共有地」と記載。
この時点(昭和50年代)で川上千尋先生は番付制作のために御前ザクラを訪ねたはずであり、その時に枯れた御前ザクラと2代目の存在を知ったのではないでしょうか。
『関右馬允撮影 巨樹写真』(平成3年)の発行者は「ひたち巨樹の会」であり、巻頭にはひたち巨樹の会代表としての川上千尋先生による関右馬允氏の写真に対する思いが書かれています。
現在のヤマザクラは、その枯れた段階からの2代目とすると、写真が撮影された後から昭和50年代までは空白の期間となりますが、最大でおよそ100年、最小でも30年ぐらいとなります。
以上のことを踏まえると、小貫地区のおじいちゃんの数十年前に枯れたという話や、現在の2代目ではないかと推定するヤマザクラのサイズもだいたい符合します。
平成30年1月20日
太い桜があったとされる神社を案内してくださった小貫地区のおじさん。
出来上がったばかりの『茨城一本桜番付』を持ってお礼にお邪魔してきました。
あいにくおじさんは不在でしたが、奥様と話ができました。
平成30年1月撮影
御前ザクラがあったとされる神子御前神社から国道354号線を挟んだ向かい側に八坂神社があります。この写真は八坂神社から神子神社方面をみたものです。
こちらには男の神様(おそらく八柱御子神)が祀られているそうで、女の神様である神子御前神社と向かい合っているとのこと。
茨城県の桜史に残る樹齢300年の名樹、小貫の御前ザクラ。
そのような桜があったことを知って、奥様にも喜んでいただけました。
今年の『茨城一本桜番付』では裏面の「茨城県 大正・昭和の名桜」に「御前櫻」として記載いたしました。 チャンスがあれば、推定2代目のヤマザクラを満開時に撮影したいと思います。
奥様もそのヤマザクラは大切にしないといけないねとおっしゃってました。
後日おじさんからお礼の電話をいただきました。
昔のことなのでまったく知らなかった。今回教えてもらってありがたいとのお言葉。
こちらこそ、感謝とお礼を申し上げました。
小貫地区の方々にとって、今後2代目のヤマザクラがひときわ美しく、誇らしく感じていただけることを願ってやみません。
残る謎について
ひとつだけ不可解な点が残っています。
『茨城縣巨樹老木誌・下巻』(昭和15年・関右馬允)には
【神子御前神社の境内にある「そめゐよしの櫻」である。御前櫻と呼ばれて居る】
とあります。
今回の調査では御前ザクラがソメイヨシノであることは無視しました。
ソメイヨシノは江戸時代末期に、染井村の植木職人が見つけた(作った)園芸品種であり、大正末期もしくは昭和初期に樹齢300年のソメイヨシノが、小貫地区に存在していたとは考えにくいためです。
しかし、関右馬允氏をはじめ、当時の調査隊がプロフェッショナルであったことは想像に難くありません。そんな凄い方達が樹種を間違うでしょうか。
それもソメイヨシノと間違うというのはなかなか考えにくいのです。
ソメイヨシノ(染井吉野)は別名「吉野桜」と呼ばれていました。
吉野といえばヤマザクラでもあり、データの転機ミスが起きたのかもしれません。
しかし、御前ザクラがもしも本当にソメイヨシノだったとしたら・・・
平成31年4月撮影
2代目の満開を狙ってみましたが、タイミングが悪かったです。
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