【桜川市】磯部の山桜
平成30年2月
茨城県桜川市 櫻川磯部稲村神社
櫻川磯部稲村神社を訪ねました。
茨城県の桜史を見直す中で、各地に存在した巨桜名桜の履歴を追いかけます。
たとえ現在は枯れて見ることができない桜であっても、かつて存在していた事実と継承などが記録できれば、より豊かな桜史が浮かび上がると考えています。
櫻川磯部稲村神社は東日本、常陸国茨城県の桜史における最も古く重要な名所ですが、今回その件は省きます。
昭和15年に発行された『茨城縣巨樹老木誌 下巻』 (関右馬允・昭和15年)に掲載されている「磯部の山櫻」
所有者稲村神社、樹齢350年、幹周13尺(4m)、樹高15m
記載されている上記数字からもかなり太い桜だとわかります。
また、大正8年に東京朝日新聞に掲載された『全國大櫻番附』 (浅田澱橋・大正8年)にも「磯部の山櫻」として2本掲載されています。その2本は幹周1丈7尺(5.12m)と、1丈5尺(4.5m)と記載あり。
『全國大櫻番附』(大正9年・浅田澱橋 東京朝日新聞)
幹周り1丈(3.3m)以上の巨桜100本を記録した日本で最初の一本桜番付ではないかと思います。
1番、神代櫻(山梨)
2番、薄墨櫻(岐阜)
3番、神代櫻(長野)
4番、石部櫻(福島)
5番、久保櫻(山形)
6番、石戸蒲櫻(埼玉)
7番、瀧櫻(福島)
というように、ものすごく有名な巨桜が並ぶ番付です。
我が茨城県からは8本が選ばれています。
21番、大宮の大櫻(常陸大宮市)
24番、西染の枝垂櫻(常陸太田市)
39番、磯部の櫻(桜川市)
40番、磯部の櫻(桜川市)
66番、真像寺の枝垂櫻(桜川市)
70番、猫実の櫻(坂東市)
82番、西明寺の櫻(北茨城市)
99番、大戸の櫻(茨城町)
特筆すべきは「磯部の櫻」が2本選ばれていることでしょう。
100本番付で同じ場所から2本。 櫻川の圧倒的威厳を感じます。
これらのヤマザクラはすでに枯れていて見ることはできないとわかっていますが、その詳細が知りたくて、櫻川磯部稲村神社の宮司様を訪ねました。そして貴重なお話をお聞きしました。お忙しい中対応してくださりありがとうございます。
宮司様によると、桜川には特に太いヤマザクラが3本あったそうで、「磯部三大桜」と呼ばれていたらしく、明治時代に撮影された写真を用いて三大桜の絵葉書が作られていたとのことで、その絵葉書が掲載されている資料を見せていただきました。絵葉書には太いヤマザクラが写っていて、幹周りなどの詳細も記載されています。
宮司様によると『全國大櫻番附』 (浅田澱橋・大正8年)に載った2本は、その三大桜のうちの幹周8尺以上で絵葉書に掲載されている2本だろうとのこと。その2本のうち『茨城縣巨樹老木誌 下巻』(関右馬允・昭和15年)に載っている1本は、最も太いもので、現在の「磯部櫻川公園」手前の民家付近で磯部稲村神社参道にあった桜とのことです。
神社から磯部櫻川公園までの道
現在は舗装されて一般道になっていますが、これは神社の裏に学校ができた際に神社の脇から学校方面へ道路を伸ばしたためで、それ以前は磯部稲村神社の参道だったとのこと。三大桜が入る明治時代の写真には、当時の参道付近も入っていて、両側にヤマザクラの巨樹が連なっていました。宮司様によると、昔は参道の片側に70本ずつ、両側で140本もの山桜が植えられていた記録があるそうです。
磯部櫻川公園から櫻川磯部稲村神社方面を写した写真です。写っている民家のあたりに磯部桜川最大のヤマザクラがあったようです。
現在の磯部櫻川公園には、ソメイヨシノやオオシマザクラも混じって植えられており、これらのいわゆる外来種を取り除く動きもあるようです。確かに、平安時代からの歴史がある桜川のヤマザクラ群において、この地にゆかりのない品種の桜を植える意味はないものと思います。
こちらは櫻川磯部稲村神社の北側のヤマザクラ並木。すぐ近くに桜川が流れています。
桜橋から望む桜川。写真左手に櫻川磯部稲村神社があります。
サクラサク里プロジェクトによる合格祈願のサクラサク絵馬掛け(櫻川磯部稲村神社境内)
毎年たくさんの花を咲かせます。勝手な想像ですが、この桜の絵はまるで『茨城縣巨樹老木誌 下巻』 (関右馬允・昭和15年)に掲載されている巨桜を彷彿とさせます。
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