【桜川市】青柳の糸櫻

桜川市青柳 熊野神社入口と青柳コミュニティーセンター


ひたち巨樹の会編集の「茨城の巨樹 川上千尋著」(※1)に掲載されている名桜。

青柳の糸櫻 2代目

旧町指定天然記念物(旧岩瀬町)

推定樹齢500年、幹周3.6m

その写真には桜川市青柳の熊野神社入口とともに見事な巨桜が写っています。

青柳の糸櫻とは、室町時代、世阿弥による「謡曲櫻川」に登場する伝説のシダレザクラのことです。

「謡曲櫻川」は櫻川磯部稲村神社の神主さんが足利持氏に「花見物語」を献上し、能謡曲師世阿弥に作らせたといわれています。


現在の熊野神社入口の右側にある彼岸桜が青柳の糸櫻2代目と解説されているウェブサイトがありますが「茨城の巨樹」に掲載されている当時の写真と比較して、どうも桜の位置が違うために断言できずにおりました。またこの彼岸桜は枝垂れない、いわゆるエドヒガンザクラではないかと。

(※シダレザクラとは、エドヒガンザクラの変異種で枝が垂れたものです。品種は同じです)

青柳の糸櫻3代目


また、熊野神社参道入口の左側には青柳の糸櫻3代目が植樹されており、標柱も建てられています。

その3代目が植樹された際に建てられた「青柳糸桜記念植樹の碑」によると、昭和44年「三世の若木を磯部より移植する」とあります。

また、笠間藩主牧野氏が青柳の糸櫻を愛で和歌を詠んだそうで「見渡せば 青柳むらや 桜川 田舎も春の 錦なりけり」という和歌が記念植樹の碑に掘られています。

牧野氏の時代は延享4年(1747年)から明治4年(1871年)ですので、今から150年~270年前となります。


これらの情報から、青柳の糸櫻2代目の詳細について、はっきりとした事実を知りたかったのですが、今回、櫻川磯部稲村神社の宮司様より、その詳細をお聞きすることができました。

平成30年2月17日

熊野神社参道右側の彼岸桜と竣工記念碑


宮司様によると、青柳の糸櫻2代目は、公民館(青柳コミュニティーセンター)を建てる際に伐採されてしまったそうです。

つまり、現在熊野神社参道右側の彼岸桜は2代目ではないとの結論。

以前2代目から枝分けしたものを宮司様宅に植えたそうで、そちらから分けられたのが、現在熊野神社参道の左側にある3代目とのことでした。

2代目ではなかった彼岸桜ですが、ほとんど枯れかけている幹です。

上部には蕾をつけた枝が生えてまして、よく見ると幹に空洞があります。

なんと!

空洞の中をひこばえが2本成長しています!

触ってみると、かなりしっかりしたひこばえでした。

茨城桜見立番付を発表された常陸太田市の川上千尋先生のおっしゃっていた桜の世代交代。

桜は自分から幹の中を枯らして、そこにひこばえを成長させて、そのひこばえが幹を支える。

まさにその雛形ともいえる状況です。

このひこばえが上部の枝につながっていて、栄養を吸い上げているのです。

この彼岸桜は青柳の糸櫻2代目ではありませんが、これには感動しました。


櫻川磯部稲村神社の糸桜

こちらの糸桜は、お花見シーズンになるとたくさんの観光客が見に訪れる有名な桜です。

これまで青柳の糸櫻2代目の子孫樹かと思っていましたが、宮司様によるとこれはまったく関係ないとのこと。

熊野神社参道入口にある3代目とともに、長年の謎がすっきりしました。


最後に

室町時代から続く伝説伝承の名桜「青柳の糸櫻」

その歴史を代継ぎという形でつないでいるすばらしいお話。

あらためて、お忙しい中お話をいただいた櫻川磯部稲村神社の宮司様に感謝申し上げます。


※1については参考文献のページを参照ください。


茨城県の桜

常陸国一千三百年の桜史と平成の桜の記録 茨城一本桜番付 平成春場所の発表