【常陸太田市】菊蓮寺の糸櫻

常陸国一千年の桜史における名桜の足跡を辿る。

大正時代有名だった「菊蓮寺の糸櫻」


久慈郡金砂郷村上宮河内 樹齢300年、幹周3.25m、樹高7m 傳説文献はないが珍しい老樹である。矢張り■齢に近く、枝幹枯死して僅かに余喘を保つて居る。

『茨城縣巨樹老木誌・上巻』(関右馬允・昭和11年)


書籍から、非常に興味深い内容が浮かび上がってきました。

それは、菊蓮寺の糸櫻は、久昌寺の糸櫻、常寂光寺の糸櫻とまったく同じ品種、樹齢であり、またそれぞれに徳川光圀公の逸話があることから、なにか関連があるのではないかということです。

※糸櫻とはシダレザクラのことです。


【久昌寺の糸櫻】 久慈郡誉田村大字新宿 久昌寺境内 樹齢400年、幹周12尺、樹高5間(引用 老樹銘木誌) 樹齢400年、幹周3.12m、樹高8m(引用 茨城縣巨樹老木誌) 此の寺は、もと蓮華寺と云ふたのを、山ノ寺を合併して現稱となつた。源光圀公の御手植と云つて居るが記録によると光圀公此の寺に遊んだ折、観櫻の和歌を詠んで居るから、著者の観察では四百年に近い老樹と思ふ

『茨城縣巨樹老木誌・上巻』(関右馬允・昭和11年)


【常寂光寺の糸櫻】 久慈郡金砂郷村大字中利員 常寂光寺境内 樹齢250年、幹周18尺、樹高4間 水戸義公此地通過ノ際手植セシモノナリト云フ

『老樹銘木誌』(茨城縣山林會・昭和3年)

 

【常寂光寺の糸櫻】 「糸櫻」と云って有名である。著者が此の寺院を訪ねた時「開山三百年」と云われたので、老櫻の樹齢と矛盾して居るのに不審を抱いたが、だんだん調べると此寺はずっと古くから在ったのを光圀公が改宗して(日蓮宗)に改めたのが判明した。口碑もないが四百年代の古木たる事は歴然として居る。此の北方六キロ上宮河内の菊蓮寺の糸櫻と、久昌寺の糸櫻と、此の糸櫻とは種類も樹齢も同一で、且つ共に光圀公に縁故あるより見れば文献でも現はれると、面白い事が鮮明される事と思ふ

『茨城縣巨樹老木誌・上巻』(関右馬允・昭和11年)


上記2つの書籍による久昌寺の糸櫻、常寂光寺の糸櫻の解説。

その関連性について徳川光圀公を軸に触れられています。


話をまとめると、3本は推定樹齢400年。光圀公ゆかりの寺院。文献でも出てくれば面白いことになる。ということ。


光圀公建立の久昌寺は明治3年(1870年)に久昌寺の末寺であった蓮華寺(現在地)に移転併合しており、当時の糸櫻はありません。

常寂光寺は日蓮宗の寺院で「久昌寺」の旧末寺。 当時の桜は枯れてしまいましたが、住職によると現在の桜が2代目とのこと。

確かに久昌寺の糸櫻と常寂光寺の糸櫻については、他の書籍に掲載されている写真からも、非常に似ていると感じました。

「種類も樹齢も同一で」という解説は正しいと感じます。


しかし残念ながら上記2つの書籍のみならず、他の書籍や資料にも菊蓮寺の糸櫻の写真は見当たりません。

枯れてしまっていることは想像できますが、どのような桜だったのか、そして代継ぎ樹がないか、その履歴だけでも辿れないかと気になっていましたので、菊蓮寺を訪ねてみました。


ご住職は不在で、奥様にて応対くださいました。

一通り経緯を説明すると、奥様が本堂から持ってきてくださった2枚の写真に心が震えました。

昭和61年に撮影された写真

こちらの写真ではシダレザクラらしき木は見当たりません。

大正2年に撮影された写真

なんと、本堂の手前、山門の奥の階段を上った所に巨大なシダレザクラが写っているではありませんか!

(※後述しますが、左側の建物が金砂小学校分校)

菊蓮寺の糸櫻

この写真から見てとれる桜のサイズは、前途した久昌寺の糸櫻、常寂光寺の糸櫻と瓜二つです。


菊蓮寺には現在、シダレザクラが何本かあるようですが、代継ぎ樹かどうかはわからないとのこと。

写真にある山門付近を捜してみましたが、さすがに株は残っていないようです。


しかし奥様によると、すぐ近くの「金砂の湯」にあるシダレザクラは、お寺の桜の子供ではなかったかとのこと。

昔、菊蓮寺には金砂小学校の分校があって現在の金砂の湯の場所に移転しました。

菊蓮寺から道路を挟んで反対側に金砂の湯があります。

ここの桜は有名なので知っていました。

金砂の湯「上宮分校跡のシダレザクラ」

樹齢は100年と伝わっています。


この桜がもし子孫樹ならば、このことは非常に大切な伝承となります。

詳細は奥様にてご住職に聞いて下さるとのこと。

この日はここまでとなりました。


平成30年3月10日

ご住職に電話で詳細を伺いました。

菊蓮寺の糸櫻は、平成10年までは皮だけになりながらも幹が残っていたとのことで、幹の周りからひこばえが出ていたそうです。桜の生命力、二代目への再生です。

そのひこばえを近くに移植したそうですが、数年後に枯れてしまったとのこと。


そして、現在の金砂の湯「上宮分校跡のシダレザクラ」は、菊蓮寺境内にあった分校を移転した100年前に植えられたもので間違いはないようですが、それが菊蓮寺の糸櫻の実生かどうかは断言ができないとのこと。

ただ「すごく似ているんですよ」とご住職。

普通に考えればあれだけの名桜です、実生を植樹したと考えるのが妥当でしょう。

現在の上宮分校跡に咲く桜の品種が、ヤマザクラでもソメイヨシノでもなく、エドヒガンシダレザクラが植えられているということがそのことを物語っているように思います。


現在菊蓮寺に咲く桜の大半はソメイヨシノですが、一部シダレザクラがあります。

これは、逆に現在の金砂の湯「上宮分校跡のシダレザクラ」の実生とのこと。

もし当時、菊蓮寺の糸櫻の実生が上宮分校に植えられたならば、現在お寺に咲くシダレザクラは孫にあたることになります。

上宮分校跡のシダレザクラから実生をもらって菊蓮寺に植えられたのはご住職のお母様だそうです。

ご住職としても、昔分校が移転する際に実生を分けたからそれが帰ってきた、いわゆるそういう流れが自然な話ではあると想像はできますねとおっしゃっていました。


また、上宮分校が移転した場所は元々畑だったそうで、その土地を提供したおばあちゃんがまだお元気とのこと。ご住職にて機会があったらそのおばあちゃんに桜のことを聞いてくださるそうです。


徳川光圀公はこの先にある西金砂神社に参拝されたことで有名です。

久昌寺、常寂光寺との距離感、道中も一本道です。

西金砂神社へ行く際に、お寺で休まれたことは想像に難くないとご住職。

伝説伝承の域ではありますが、非常に面白い想像だと思いますし、これも桜の魅力です。


以上、今後続報があれば追記します。


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