【土浦市】右籾児童公園の桜

令和4年4月撮影

茨城県土浦市 右籾児童公園(ときわ児童館・右籾4区公民館)


茨城県の桜史を見ていく上で、戦後に平和の象徴として植えられたソメイヨシノも重要な観点です。

歴史を知ることで見えてくる風景というものがあります。

右籾児童公園の桜は、どこでも見れる公園のソメイヨシノではありません。戦後復興を見守ってきた象徴であり、希望だったのではないでしょうか。


現在の閑静な住宅街からは想像ができませんが、土浦市右籾地区の一部(常盤台)は、海軍関連の施設が多く残っていたため、戦後引揚者が暮らす引揚寮が設置された地区でした。

参考とした『引揚者の戦後』(新潮社・平成25年)には、「愛隣会保育所、そして常盤台の住民たちが作り上げたときわ児童館と児童公園の存在が、引揚者が築き上げてきた街であることの記憶を刻んでいる。」(第3章 恩賜財団同胞援護会と土浦引揚寮・稲葉寿郎)と書かれています。


私の母方の祖父は加藤完治の農本主義に憧れ、満蒙開拓青少年義勇軍として満州に渡った引揚者でした。現在のかすみがうら市宍倉の新生開拓地に祖父の家(母の実家)があります。母からは、戦後の暮らしは本当に大変なものだったと聞いてきました。野地を一から耕し、少しづつ農地を拡大していったそうで、とにかく貧乏だったと。祖父の家には1本のソメイヨシノがありました。あれは祖父が植えた希望、命をかけた農業と暮らしの象徴だったのではないかと思っています。

令和4年4月撮影

令和4年4月撮影

令和4年4月撮影


引用・参考文献『引揚者の戦後 叢書 戦争が生みだす社会2 』( 平成25年・島村恭則 編)

本の内容

敗戦を境にリュック一つで帰還し,戦後を生き抜いた引揚者たちの痕跡を,全国の商業施設,開拓地,公営住宅,福祉施設,大衆食文化にたどる。満洲・朝鮮・樺太・北方四島・パラオ引揚者たちの歴史的地層,苦難に耐えた敗者復活の生き方に注目した初の民俗誌。


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