【小美玉市】竹原神社の上溝桜
平成26年4月撮影
茨城県小美玉市 竹原神社
田の神が宿る木、サ(稲)クラ(座)。これが桜の語源という説があります。
『常陸国風土記』(奈良時代)には、当時の人々が筑波山でお花見をしたという記述があり、山から神様を迎えて田植えをする農耕儀礼がお花見の起源とも言われています。
茨城県の神社には山桜(ヤマザクラ)のご神木が多く、小美玉市では玉里の大宮神社、栗又四ケの耳守神社、西郷地の石船神社、竹原の竹原神社などで古木を見ることができます。
これらは染井吉野(ソメイヨシノ)が大流行する以前からの風習で、地域の人々の信仰とヤマザクラの関係を見ることができる貴重な場所です。
※竹原神社のヤマザクラ「左近の桜」については別記事を参照ください。
平成26年4月撮影
竹原神社では社殿に向かって左側に上溝桜(ウワミズザクラ)が植えられています。
これも県内各地の神社で見る事ができる事例です。
天皇陛下即位の礼に斎田点定の儀というものがありますが、これは大嘗祭で供えられるお米の生産地方を選別する儀式です。その中の亀卜占いで使われるのがウワミズザクラの木です。
ウワミズザクラはヤマザクラ同様稲作に関わる桜であり、そういった縁からご神木として神社に植えられてきたと考えられています。
竹原神社のウワミズザクラは県内でも有数の古木です。その太さは県内一ではないでしょうか。あまり知られていない品種ではありますが、神社を守る竹原区の方々にとって、古い桜は地域の誇りになっているそうです。
古くから愛でられてきた天然品種、それがヤマザクラ、ウワミズザクラです。花の見頃はヤマザクラがソメイヨシノの1週間後、ウワミズザクラは2週間後以降が目安となります。
このように社殿の左右にご神木として桜が植えられる事例は数多く存在します。
中でも、那珂市鴻巣の鷲神社においては、社殿に向かって右手にウワミズザクラ、左手にヤマザクラという、竹原神社と逆のパターンとなっており、大変興味深いです。
令和2年2月撮影
写真提供:小美玉市
『広報おみたま4月号』の取材で、竹原神社を守ってらっしゃる区の方々と桜談義をしました。
桜の事だけでなく、神社について様々な逸話をお聞きできました。
ウワミズザクラについては、根元から生えてくるひこばえを剪定したり、丁寧に手をかけてきたとのこと。また社殿を挟んで向かい側にあるヤマザクラの古木については、みなさんが子供の頃はもっと斜めに生えていたそうです
今の時代は、若い人が少なく、神社を守っていくのが難しくなってきている時代でもあります。
竹原神社では神社に関わる人が限定される氏子という制度を止めて、竹原区民の管理とすることで、神社に関わってくれる人の数を増やし、またアジサイまつりなど新しい名所作りにも力を入れることで、交流人口を増やすことにも成功していると思いました。
古いものも大切にして、新しい考え方も取り入れていく。このことは市内の神社の中でも先進的な考え方ではないでしょうか。
令和2年2月撮影
写真提供:小美玉市
前途した那珂市鴻巣、鷲神社のウワミズザクラは市指定天然記念物です。
幹周りを比較すると、竹原神社のウワミズザクラは鷲神社の倍はあると思います。
つまり天然記念物級の貴重なウワミズザクラの古木ということができます。
ウワミズザクラは野に自生している天然品種の桜ですが、こうして神社の社殿の前に、「人によって意図的に植えられていてこの太さ」ということが、竹原神社のウワミズザクラの希少価値を高めています。
平成26年4月撮影
よく知られる桜とは形状が異なる花。ブラシのような花です。
似ている品種に犬桜(イヌザクラ)があります。
平成26年4月撮影
平成26年4月撮影
平成26年4月撮影
ウワミズザクラが満開になる時、向かい側のヤマザクラは完全に青葉になっています。
令和2年2月撮影
上溝桜(ウワミズザクラ、Padus grayana)
バラ科ウワミズザクラ属の落葉高木。
和名は古代の亀卜(亀甲占い)で溝を彫った板(火燧木ひきりぎ)に使われた事に由来する。
また、予め彫られた骨の裏の溝を焼くことから「裏溝」「卜溝」のウラミゾが変化してウワミゾ、ウワミズになったとする説もあります。
別名ハハカノキ(波波迦の木/波々迦の木/波々架の木)
「古事記」の天岩戸神話(あまのいわとしんわ)には、天香具山(あまのかぐやま)の雄鹿の骨を抜きとって「朱桜の木(上溝桜)」の皮で焼き、吉凶を占ったとあります。
即位の礼(そくいのれい)
天皇が践祚(せんそ)後、皇位を継承したことを内外に示す儀典で、最高の皇室儀礼とされる。 即位式の後に、五穀豊穣を感謝し、その継続を祈る一代一度の大嘗祭(だいじょうさい)が行われる。即位の礼・大嘗祭と一連の儀式を合わせ御大礼(ごたいれい)とも称される。
大嘗祭で神様に捧げるお米を作る田んぼをどこにするかを占う、斎田点定の儀・国郡卜定に使われるウワミズザクラ。 葛木坐火雷神社(笛吹神社 ※1)から献上されていたウワミズザクラ(波々迦木)は、大嘗祭に先立ち、神様に捧げるお米を作る田んぼをどこにするかを占う、斎田点定の儀・国郡卜定(こくぐんぼくじょう)の際に用いられる木です。
ウワミズザクラを焚いて、そこに鹿の骨、亀の甲羅などをくべて割れた目を占います。 ※1現在は天香山神社
亀卜の座
紫宸殿東廂、東軒廊東端部に「亀卜(きぼく)の座」があり、廊下敷石に四角く薄い御影石「亀卜石」(1m四方)が置かれている。 天皇即位後初の新嘗祭である大嘗祭前に、この石の上で神祇官・卜部(うらべ)氏は、「軒廊の御卜(こんろうのみうら)」を行いました。 古代中国の習俗で、細かく切ったウワミズザクラを燃やし、海亀の甲羅を焼く。その時の甲羅のひびの入り方で天神、地祇に祀る米の産地二国二郡を決定した。
国郡卜定(こくぐんぼくじょう)
ウワミズザクラを焚いて雄鹿の肩甲骨や、亀の甲羅を焼き、それによって生じた割れ目で悠紀(由基=ゆき)、主基=すき、という二つの斎田の国郡を選定する。 「悠紀」「主基」とは日本の東西を表す言葉。 京都の以東を悠紀(東日本)、以西を主基(西日本)とし、 それぞれから一か所、大嘗祭に捧げる米を作る田んぼを選定する。 神様に捧げるお米を作るという栄誉をいただいた田んぼの耕作者は、粗相のないように精進潔斎して田んぼに入り、気を使いながら米を育てる。やがて実った米は大嘗祭に際して献上される。
大嘗祭は、普段の宮殿とは別に大嘗宮という建物を建てて執り行われ、そこには「悠紀殿(ゆきでん)」「主基殿(すきでん)」という二棟の建物があり、回廊で結ばれていて、それぞれの殿で祭祀が行われるとのこと。つまり悠紀斎田(ゆきさいでん)で作られた米は悠紀殿へ、主基斎田(すきさいでん)で作られた米は主基殿へそれぞれ奉られ、儀式が行われることになる。
往馬大社から献上されるウワミズザクラは、大嘗祭・斎田点定(さいでんてんてい)の儀において火燧木として使用される。
平安朝の書物である北山抄や元要記、亀相記等には「火燧木神」の記載が見られ、伊古麻都比古神、伊古麻都比賣神は古くから「火の神」としても尊ばれていました。
往馬大社は古くから「火の神」としても崇敬厚く、歴代天皇の御即位の踐祚大嘗祭に用いられる火燧木は代々往馬大社より献上したもので、昭和・平成の大嘗祭・「斎田点定の儀」にも往馬大社の火燧木(ウワミズザクラ)が使用されました。
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