【小美玉市】桜の本の若木桜

現在の小美玉市花野井(はなのい)地区に伝わる一本桜「若木桜」の伝承を知り、その桜がどこにあったのか調査しました。


【花野井の六井観音堂。 花野井字花ノ木は昔から山桜の多いところで、かつては小曽納との村境に桜の大木があって「桜の本」という俗称地名が残っている。 六井観音堂にあった桜の木は「若木桜」といわれ10〜20年ごとに幹枝が枯れて根幹から若芽を生じ、新陳代謝して数百年の間絶えることなく生きつづける。その傍に井戸があり、水色透明でいかなる大早にも涸れることなく、眼の病にかかったときにこの水で洗うと、たちまちにして治るという。 往古、大山祗命(おおやまずみのみこと)が国中を巡視してこの村に至り、この地を選んで井戸を掘って桜の木を植えたところだと伝えている。 その後、木花開耶姫(このはなのさくやひめ)が父をしたい、ここまでやってきたが、ついに父をみることができなかった。ただ父神の植えた桜の木をみて心を安められ、ついに如意輪菩薩(にょいりんぼさつ)となってこの地に滞留し、堂宇を建てて祀られたのが六井観音堂である。この堂には笠間稲荷神社の末社から大己貴命(おおなむちのみこと)も合祀されている。】


この「若木桜」の伝承は、まさに「ひこばえによる再生」を意味しています。 最近私は「桜に寿命はなく、うまくすればひこばえで再生し続ける」と結論づけていたので、これにはしびれました。

茨城町大戸の桜や、笠間市下市毛の山桜など、ひこばえによる再生樹を挙げればキリがありません。


花野井地区に行けば六井観音堂はすぐに見つかるだろうと考えていましたが、しかしこれが簡単には見つけられないのです。地図にも載っていませんし、地元で聞き込みをしても、そのような観音堂は聞いたことがないといいます。

最初に見つけたこのお堂は子安観音とのことでした。

子安様=木花開耶姫でもあるので、もしやと思いましたが確証が得られません。


そして、花野井という地名は桜の名木「若木桜」からきていることがわかりました。これは花野井の冨士神社に答えがありました。花野井冨士神社のご祭神は木花開耶姫です。

花野井冨士神社(小美玉市花野井)


昭和58年に建てられた冨士神社改築記念碑には 

【冨士神社は「木花開耶姫命」を祀り御神体は石像で台座に惣村中の文字が刻まれて居り中世より江戸時代初期に至る惣村制時代には住吉生園郷の鎮守と伝へられる。小曽納の鹿島神社に、社殿の東を冨士神社、西を鹿島神社として合祀された。万治三年(1660年)花野井小曽納両村の分村により現在の地に遷宮された。境内神社は鹿島神社、大六神社、八坂神社を祀り、境外神社として弁財天神社を祀る。「花野井」とは桜の名木「若木の桜」に起因する。当神社は明治十五年村社に列格、昭和二十七年十月十八日宗教法人冨士神社となる】 

このように、花野井の由来が若木桜であると記されています。 

冨士神社改築記念碑

さらにこの記念碑には、隣の地区にある鹿島神社に冨士神社が合祀されていて、花野井村と小曽納村(おそのうむら)が分村した際に冨士神社が現在地に移転したことが記されています。


【生園郷の鎮守と伝わっており、小曽納の鹿島神社に、社殿の東を冨士神社、西を鹿島神社として合祀された。万治三年花野井小曽納両村の分村により現在の地に遷宮された】 


生園郷とは 常陸国の茨城郡を構成する18の郷の中の「生園(おうその)」のことで、これは「小曽納(おそのう)」の遺称地で、おうその→おそのうといわれています。 

旧美野里町エリアにおいて生園郷を構成する村は 小曽納村、花野井村、大谷村、竹原村、竹原中郷村、竹原新田村、馬場村、鶴田村、三ヶ村。 

花野井と小曽納は昔は同じ村だったようで、万治3年(1660年)に分村したようです。

そして、花野井冨士神社の元は小曽納鹿島神社であったということです。  


小曽納鹿島神社について調べてみると 

【小曽納鹿島神社は小曽納字生園岡に鎮座し、古くは茨城郡十八郷の本郷であり、1077年〜80年に生園郷の郷社として創建されたという説もある】 


村が分かれるから、神様も分けたのでしょう。 

花野井冨士神社は六井観音と木花咲耶姫伝承から生まれた神社であり、その元が小曽納鹿島神社ということがわかりました。  

小曽納鹿島神社(小美玉市小曽納)


そして小曽納鹿島神社を訪ねてみましたら、これがなんと鹿島浅間神社でした。 

ヤマザクラの撮影で数年前にも訪れていましたが、浅間神社は気が付きませんでした。 

冨士浅間神社といえば、木花開耶姫をご祭神とする富士山信仰の神社です。 

おそらく元は鹿島冨士浅間神社だったところを、分村によって花野井村に冨士神社を遷宮し、小曽納村には浅間神社を残したのでしょう。 

境内にはヤマザクラが三本。拝殿の手前と左右にあります。  写真は拝殿手前の巨木。


現在の小美玉市竹原には明治時代、若竹会という詩歌の会があったそうで、その若竹会によって「花野井冨士神社献詠会」が開かれたという記録が残っています。

前途したように、昔は花野井村と竹原村は生園郷として同じ地区でした。また、現在の花野井地区は竹原区に属してます。


もうでくる 処女の袖も 匂うなり 花に花そう 冨士のみ社 

うぶすなの 神のいかきの 若桜 えならす匂ふ 花野井の里 

天津そら くもりもやらで 広前に ふり来るそらは 桜なりけり 

あふけとも 千木もいかきも 見えぬまで うつもれたてし 花のみ社 

あさぼらけ 神のみまえに ぬかつけば 雫も匂ふ み社の花 

うぶすなの 杜のさくらき 春くれば 雲にまかひて 花咲きにけり  


以前は冨士神社にたくさんの桜が咲き誇っていたことが想像できる詩歌ではないでしょうか。

若竹会員であり「花野井冨士神社献詠会」を主催した「島田花村」は「竹原村誌」を編纂した竹原村の村長で「漢詩竹原八景」で知られていたそうです。 また、同じく若竹会員の「宮内桜亭」の自宅お庭には桜の古木があって、花見の宴ができたそうです。 


以下の和歌は若竹会員が六井観音を詠んだもので、明治時代に冨士神社に献詠されました。  

常陸なる 六井の一は 花の井の 里に名高き 若桜かな 

九重の 桜の色は 薄けれど 法の恵みは 深き花の井 


これらの詩歌からも、六井観音の「若木桜」は冨士神社とともに語られるべき存在であることがわかります。

花野井冨士神社の桜

葉を付けていないことが気になりました。これはてんぐ巣病ではないでしょうか。


ここまでをまとめると

若木桜とは、小美玉市花野井の地名の由来にもなっている一本桜で、その桜の近くには泉があり、その泉は常陸六井のひとつに数えられ、この地にやってきた木花咲耶姫は如意輪観音となって観音堂に祀られた。それが六井観音。 また、生園郷の鎮守鹿島神社には冨士浅間神社が合祀されており、木花咲耶姫をご祭神として祀っている。このことと若木桜は大きく関係していると推測できる。また、その後小曽納村と花野井村の分村により冨士神社が現在地に移転された。


これらの伝承のはじまりの地「若木桜が咲いていて常陸六井があった場所」をこれまで探してきました。 資料や神社は調べ尽くし、花野井地区とお隣の小曽納地区もくまなく歩き、何人か現地の人に聞き込みもしましたが、その場所は見つけられずにいました。  


平成30年7月16日(祝)さらに現地で聞き込みを継続。 

その中で、畑で農作業をされている老夫婦に尋ねたところ、それはもしかして花野井集落の中にある稲荷神社の事ではないか?とのこと。そこは井戸があって、お社を守っているお宅があるということでした。  

その稲荷神社の赤い鳥居は六井観音堂を探し始めた初日に見ていました。しかし、観音堂と稲荷神社は別物だろうと見送っていました。自分の詰めの甘さを悔やみます。


【この堂には笠間稲荷神社の末社から大己貴命(おおなむちのみこと)も合祀されている】

稲荷神社とは意外でしたが、この一文を思い出しました。 

六井観音堂が現在稲荷神社であることはこれで説明がつく? しかし、大己貴命(おおなむちのみこと)は「大国主」で、お稲荷さんではありません。 

早速その稲荷神社に向かいました。 

なんと、小さなお社の手前に井戸がありました。 

井戸には水が溜まっています。決して枯れることのない、眼病に効く泉という伝承。

現在のコンクリートの井戸は昭和二十八年に造られたようです。

そしてついにご対面。石碑は木花開耶姫です。

そしてそこには「常陸 井」と彫られているではありませんか! 

つまりここが常陸六井であり、若木桜が咲いていた場所ということです。 


この後この井戸とお社を代々守っているというお宅「S家」を訪ねました。 

立派な長屋門のお宅でした。 突然の訪問にも関わらず奥様にて応対いただき、半年前に亡くなったおじいちゃんが、確かあの井戸の近くに桜の大木があって、お稲荷さんとは別の神様も祀ってあると言っていたのを聞いたことがあると。そしてあの井戸とお社は二軒の家で管理していると。 聞けばそのおじいちゃん、私が参考にした美野里町史の編さんに尽力された方だったのです。 

半年早ければ直接おじいちゃんから話が聞けたのにと奥様。残念でなりません。 奥様の言う別の神様とは間違いなく木花咲耶姫でしょう。 


残る謎について

六井観音堂が現在稲荷神社になっていることの経緯が不明です。 笠間稲荷から合祀した神様が稲荷神・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)なら話は早いのですが。 

また、伝承では木花咲耶姫は如意輪菩薩となって祀られたとありますが、現在は木花咲耶姫の石碑が祀られています。

少なくても花野井の地名由来となるほど古い伝承ということで、長い年月の間に色々なことがあったのでしょう。冨士神社、浅間神社の存在についても、江戸時代、主に関東地方で流行した富士講が関係しているかもしれません。


歴史を記録に残すことの素晴らしさ、その場所を守っている方々の存在と、若木桜があったとされる場所を捜し歩いてみて改めて大切なことに気付かされました。

確かに存在したであろう花野井桜の本の若木桜は、 常陸国一千年の桜史に残る、伝説の名桜のひとつと言えるでしょう。


参考・引用:『美野里町史・上下巻』(美野里町史編さん委員会・平成元年、平成5年) 

茨城県の桜

常陸国一千年の桜史と平成の桜の記録 茨城一本桜番付 平成春場所の発表