【茨城町】千貫桜

樹種:桜

幹周:2m

樹齢:100年

樹高:9m

所在:東茨城郡上野合村大字小幡字北並木

由緒:源光圀公花時清遊せられ「花品の値千貫銭なり」と云はれたので千貫桜の名称になった。

徳川篤敬候筆の記念碑が建つて居るが、現木は幼樹で、親木は竹林の中にあつたと里人に伝えられて居る。

『茨城縣巨樹老木誌 下巻』(関右馬允・昭和15年)


千貫桜と水戸藩の歴史は深いです。

徳川光圀公が「花品の値千貫銭なり」とした初代の桜は相当なものだったのでしょう。

勘違いされやすいですが、光圀公が称賛した桜は一本桜です。並木ではありません。

光圀公が亡くなってから初代は枯れたようで、そのひこばえから再生した2代目が、上記『茨城縣巨樹老木誌』に記載されている詳細です。


徳川斉昭公は光圀公を偲び、街道沿い(現在の国道6号線)に桜並木を植樹しました。

おそらくそれはヤマザクラだったことでしょう。

現在は2代目も、そして斉昭公が植樹したヤマザクラの並木も枯れていて、ソメイヨシノの並木となっています。

初代の桜があった場所は現在地から約1kmほど水戸寄りだったようです。

現在のソメイヨシノ並木は昭和40年頃に植樹されたものです。

明治31年に建てられた「千貫櫻碑」の題字は徳川篤敬候(水戸徳川家第12第当主・徳川慶喜公の甥)によるものです。

書は藤田東湖先生の次男・藤田健(健二郎)によるものです。

平成14年に建てられた「千貫櫻歌碑」 茨城町小幡出身の小野春江氏による揮毫

桜の傍には子安様。大正十二年と彫られてます。


千貫桜の歴史について、詳しく掲解説されたブログ記事を見つけましたので下記参照ください。

参考:常陸野散策...いしぶみは何処(下にリンク掲載)

茨城県の桜

常陸国一千年の桜史と平成の桜の記録 茨城一本桜番付 平成春場所の発表