【茨城町】千貫桜
平成28年4月撮影
茨城県東茨城郡茨城町
千貫桜と水戸藩の歴史は深いです。
徳川光圀公が「花品の値千貫銭なり」とした初代の桜は相当なものだったのでしょう。
勘違いされやすいですが、光圀公が称賛した桜はヤマザクラの巨樹、一本桜です。並木ではありません。
光圀公が亡くなってから初代は枯れたようで、そのひこばえから再生した2代目が、下記『茨城縣巨樹老木誌』に記載されています。
樹種:桜
幹周:2m
樹齢:100年
樹高:9m
所在:東茨城郡上野合村大字小幡字北並木
由緒:源光圀公花時清遊せられ「花品の値千貫銭なり」と云はれたので千貫桜の名称になった。
徳川篤敬候筆の記念碑が建つて居るが、現木は幼樹で、親木は竹林の中にあつたと里人に伝えられて居る。
『茨城縣巨樹老木誌 下巻』(関右馬允・昭和15年)
江戸時代後期、第9第水戸藩主徳川斉昭公は光圀公を偲び、街道沿い(現在の国道6号線)に桜並木を植樹しました。それはヤマザクラだったといわれています。
現在は2代目も、そして斉昭公が植樹したヤマザクラの並木も枯れていて残っていません。
初代の桜があった場所は現在地から約1kmほど水戸寄りだったようです。
現在のソメイヨシノ並木は昭和40年頃に植樹されたものです。
明治31年に建てられた「千貫櫻碑」の題字は徳川篤敬候(水戸徳川家第12第当主・徳川慶喜公の甥)によるもので、書は藤田東湖先生の次男・藤田健(健二郎)です。
平成14年に建てられた「千貫櫻歌碑」 茨城町小幡出身の小野春江氏による揮毫
桜の傍には子安様。大正十二年と彫られてます。
千貫桜の歴史について、詳しく掲解説されたブログ記事を見つけましたので下記参照ください。
参考:常陸野散策...いしぶみは何処(下にリンク掲載)
光圀公と桜の物語が「講談」になりました。千貫桜も出てきます。
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