【日立市】平和通りの桜

平成31年4月撮影

写真提供:安齋智宏さん(日立市)

茨城県日立市

日本のさくら名所100選


JR常磐線日立駅から国道6号線までの約1kmに渡って120本が咲き誇るソメイヨシノの並木。

さくらの街日立の顔ともいえる並木です。


大正から昭和初期にかけて日立鉱山の煙害対策で大煙突周辺に植えられた大島桜(オオシマザクラ)は260万本ともいわれています。そのオオシマザクラの苗木に接ぎ木して増やされた染井吉野(ソメイヨシノ)が、戦後になって平和通りとかみね公園に植樹されました。日立鉱山は後の日立製作所であり、つまり平和通りの桜並木は街の発展とともにある、日立のシンボルといってもいいほどの名所です。


毎年行われるさくら祭りでは、神峰神社の大祭礼で巡行される巨大な山車「日立風流物(ユネスコ無形文化遺産)」が平和通りで公開されます。

日立風流物(ひたちふうりゅうもの)は、元禄8年(1695年)水戸藩2代藩主徳川光圀の命により、神峰神社が宮田・助川・会瀬の3村の鎮守になったとき、宮田村の氏子さんが、無病息災・五穀豊穣など日々の豊かな暮らしを祈願して、山車を造り、祭礼に奉納したのがはじまりです。

平成29年4月撮影

写真提供:坂野しげ子(小美玉市)

平成29年撮影

平成30年4月撮影

写真提供:安齋智宏さん(日立市)

平成31年4月撮影

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

平成31年4月撮影 

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

令和2年4月撮影 

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

平成24年4月撮影

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

日立風流物を毎年撮影されている冨山さんからたくさんの貴重な写真をお借りしました。

8年間の記録、これは凄いことです。ありがとうございます。

以前は宮田風流物と呼ばれていたそうです。神峰神社の大祭礼の時だけ宮田地区の四町(本町、西町、東町、北町)から1台ずつ拝殿前へ奉納されてきました。 

さくら祭りではこの4台の内の1台が毎年年番で平和通りに繰り出します。

平成24年は「本町」です。

演目は「時代絵巻」

平成25年4月撮影

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

平成25年は「西町」

演目は「忠臣蔵」

高さ15m、幅3~8m、奥行7m、重量5tという大型の山車です。上部に5層の唐破風造りの屋形があり、各層が中央から両側に開き舞台となる構造になっています。(日立市郷土博物館HPより)

平成25年4月撮影

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

「忠臣蔵」が演目となっている「西町」の山車。吉良邸討ち入り!

平成26年4月撮影 

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

平成26年は「東町」

演目は「源平盛衰記」

平成26年4月撮影 

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

平成26年4月撮影 

写真提供:坂野しげ子(小美玉市)

平成27年4月撮影 

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

平成27年は「北町」

演目は「太閤記」です。

裏山の演目は「花咲爺」でこれも必見です。

平成28年4月撮影 

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

平成28年は「本町」

人形芝居を組み合わせるようになったのは、享保年間(1716~36年)からといわれています。風流物の特長には壮大な山車とともにからくりがありますが、風流物が起こった江戸中期は人形浄瑠璃が一世を風靡した時代であり、その影響を受けた村人たちが農作業のかたわら工夫を重ねて人形作りの技術を自分たちのものにしていったと考えられています。(日立市郷土博物館HPより)

平成29年4月撮影 

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

平成29年は「西町」

平成30年4月撮影 

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

平成30年は「東町」

平成31年4月撮影 

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

平成31年は「北町」

平成31年4月撮影 

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

平成31年4月撮影 

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

令和元年5月撮影 

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

7年に1度は、神峰神社大祭礼に併せて、4町の山車全てが一斉に公開されます。

令和元年5月撮影 

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

令和元年5月撮影 

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

令和元年5月撮影 

写真提供:冨山幸治さん(龍ケ崎市)

令和元年5月撮影

神峰神社大祭礼時の4台一斉公開は平和通りではありませんのでご注意ください。




茨城県の桜

常陸国一千三百年の桜史と平成の桜の記録 茨城一本桜番付 平成春場所の発表