【潮来市】潮来築地の奇桜

平成30年4月撮影

茨城県潮来市


築地(ついじ)

徳川光圀公お手植えの伝承が残る古木で、推定樹齢320年と案内板に書かれています。

当初ヤマザクラだと思っていましたが、花と葉を見る限りこれはオオシマザクラ(大島桜)の可能性が高いです。だとすれば茨城県で最も古いオオシマザクラということになります。

鹿島神宮の拝殿前にもオオシマザクラ。

香取神宮の楼門前の「黄門桜」もオオシマザクラ。

江戸時代に潮来にオオシマザクラが植えられたということは十分考えられます。花が珍しいから「奇桜」という名が付いたのか。定かではありません、大きな謎です。主幹は枯れていて、周りからひこばえが成長して花を咲かせています。奇桜は同地区に鎮座する熱田神社の氏子様によって守られているようです。


鹿行地区はオオシマザクラの古木が多く点在しており、これは県内でも日立市を除くとこの地域だけに見られる現象です。元々茨城県には野生のオオシマザクラはないはずです。昔、薪木などに利用されるために人の手によって増えたともいわれていますが、果たしていつ頃からオオシマザクラが茨城県に入ってきたのでしょうか。遠い伊豆から鳥が種を運んできた? 光圀公が珍しい桜として取り寄せたのかもしれませんね。(桜狂いの妄想です)


尚、関樹木医より下記見解をお聞きすることができました。

「オオシマザクラは潮風に強いので、当時はソメイヨシノもオオシマザクラも植えられていたけど潮風で枯れてしまい、結果としてオオシマザクラが残っていったのではないか? と思います。おそらくオオシマザクラが潮風に強いことは、かなり昔からわかっていたらしいので、潮来あたりの地域はサクラ以外でも潮風に強い植物しか育たなかったんだと思います(マツやマキやタブノキとかとか) サクラを植えるときにも、おそらく「潮風が・・・」というのが当時の人たちの頭をよぎっていたのではないかと・・・ それで積極的にオオシマザクラを植えていたかな~とも思います。潮来あたりから海側(鹿島や神栖)には極端にサクラ自体がすくないですから、潮来のオオシマザクラは珍しいですね。」(石岡市・関樹木医Facebookコメント転載)


いずれにしましても、今となってはこの地域特有のサクラであり、大事に守っていきたいオオシマザクラの古木であります。


熱田神社 境内石碑

日本武尊、東征の折当地に立ちより、東は鹿島、南向香取、西方遥かに筑波の霊峰を望み、北は北浦に接し展望絶景高燥の地なるを以って戦勝祈願を行ったという。この地にあって尊の命に従い功のあった三十番神を褒め称えた。 村人はその跡を都恵地(築地)と称し祠ありしが、大同元年(806年)社殿をつくり日本武尊を祭神とし三十番神を合祀、尊崇した。 延宝3年(1673年)水戸藩主・光圀公巡視の折、由来を尋ねられ熱田神社の神号を賜る。

平成30年4月撮影

平成30年4月撮影

平成30年4月撮影

奇桜の傍には赤いお社があります。道祖神が祀られています。

平成30年4月撮影

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