【桜川市】高峯の山桜

平成28年4月撮影

茨城県桜川市


桜川日本花の会様が主体となって、地元有志の方々によって展望台や下草の刈り取りなど丁寧に管理手入れされて、近年全国区で知られるようになったヤマザクラ絶景地。 

高峯山の麓にある「大神台遺跡(おおかみだいいせき)」は常陸国風土記で「新治郡に大神駅家がある。この付近には大蛇が多くいるので、駅の名を大神駅家とした。」と書かれている場所と推定されています。  駅家(うまや)とは、奈良時代に三十里ごとに置かれた交通施設で、大神駅家は常陸国府(石岡)から下野国府(栃木市)へ通じる中間の駅家だといわれています。 まさに高峯山の後ろは栃木県の茂木町であり、また高峯山の後方雨巻山の後ろが益子町です。 


関東平野の北端である筑波山とそこから続く筑波連山。 これら低山に咲くヤマザクラの風景こそが、茨城県が誇る最上の桜風景かもしれません。 山深い吉野山とは違う、人々の暮らしのすぐ目の前にあるごく当たり前の風景です。 


昔から人々は山に咲くこの遠山桜を観て春の畑作業をはじめたのでしょう。山の神に祈り、神社にもヤマザクラを植える。稲(サ)の神様が依り代とする座(クラ)。  

筑波連山の突き当りにある盆地に東日本最古の桜名勝地「桜川」があり、その桜川と筑波連山を見渡せる高峯山。  


現代に「遠山桜(とおやまざくら)」という桜花観を復活させる契機となった高峯。

このことは茨城県の桜史を見ていく上で非常に重要なことであり、その境地にたどり着いた桜川の方々に敬意を表します。


大神台遺跡の存在は、お隣下野国との交通の要所であったことを示す重要な事実であり、その下野国の国守を務めたのが、平安時代「桜川」を詠んだ「紀貫之」の祖父「紀本道」であることは、何を意味するのでしょう。また、高峯山の別名である「五代力山」も見逃せません。麓の五大力堂は平安時代に平将門の残党藤原玄明らか立てこもったと伝えられている場所で、堂内にある五大力像(県指定重要文化財)は、日乗上人の手によって五体の尊像が刻まれ、逆賊追の一大修法を行ったと伝えられています。

平成31年4月撮影

展望台からの風景。

平成31年4月撮影

平成31年4月撮影

山桜絶景の碑から覗いた風景。

平成31年4月撮影

平成31年4月撮影

徐々に新録が進む高峯山。

平成31年4月撮影

ヤマザクラの花期はそれぞれ違いますので、1週間前に咲いていたものが葉桜となってもまた別なものが満開になっていきます。非常に長い期間楽しめるのもその魅力のひとつです。

平成31年4月撮影

新緑の中にぽつりぽつりと残る遅桜もまた風情があります。

平成31年4月撮影

平成30年12月撮影

正面加波山とその右奥に筑波山。 東京から見ると、筑波連山の突き当たりにあるのが桜川であり、高峯からの展望はこの通り。 人々の暮らしの目の前にある風景。 苗代桜、種蒔き桜という桜の呼び名がありますが、昔から人々は桜の開花を農作業の基準にしてきました。 秋の収穫を神様に感謝して、山そのものをご神体として崇拝してきた日本人。 神道とヤマザクラの関係は深いものがあると感じています。

令和元年12月撮影

令和元年12月撮影

令和2年3月撮影

雪化粧した高峯山。

令和2年3月撮影

高峯のヤマザクラが咲く頃に雪が降るのは珍しいことです。

令和2年3月撮影

令和2年3月撮影

展望台付近。

令和2年3月撮影

展望台からの風景。

令和2年4月撮影

令和2年4月撮影

展望ポイントがたくさんあるのも高峯の魅力です。

令和2年4月撮影

令和2年4月撮影

令和2年4月撮影

令和2年4月撮影

令和3年3月撮影

令和3年4月撮影

遠く足尾山から飛び立ったパラグライダー、ハンググライダーの皆さんが通過していきました。

令和3年4月撮影

令和3年4月撮影

令和3年4月撮影

令和3年4月撮影

令和3年4月撮影

令和3年4月撮影


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