【土浦市】土浦桜川堤

平成29年4月撮影

茨城県土浦市


桜川市の鏡ヶ池を起点として「名勝・常陸桜川」を経由し、筑波連山を辿るようにつくば市と土浦市を抜けて霞ヶ浦に流入する桜川。

桜川堤からはるか筑波山を眺めると、奈良時代から続く悠久の桜史が浮かんでくるようです。


昭和10年頃には「春は桜に、秋は花火に、筑波山、水郷、海軍航空隊を結ぶ玄関口」をうたい文句に「茨城県有数の遊郭都市」として栄えました。


土浦桜川堤のはじまりは、明治43年に行方郡大和村(現行方市)の「辺田粂蔵(へたくめぞう)」が、妻の足の病気の全快を記念して桜川河岸の道祖神に桜樹200本を寄進したことだそうです。

その寄進された桜を、土浦市大町の人々が、日露戦争の戦勝記念として、堤防上に植えたのが最初の記録とのこと。


「桜川の名に負う花の新名所」

色々な人々の想いや信仰があって植えられてきた桜。

この美しい景観を引き継いで未来へ残すことは、我々現代人の務めではないでしょうか。

江戸時代後期から明治時代において土浦の桜名所は「小松勢至ヶ丘の二十三夜尊」「真鍋台の総宜園」がありました。

これらの歴史を受け継ぐ形で、新たな花見名所となっていったのが「土浦桜川堤」なのです。


土浦は海軍の街として栄えてきた歴史がありますが、その海軍航空隊がおかれた時に、住民の集団移転があり、その際にできた新しい町に「桜町」があります。

昔は「敷島町」「朝日町」「匂町」「小桜町」もありました。また、それ以前からの町名では「大和町」があります。

桜に詳しい方であればもうおわかりでしょうか。

これは江戸時代中期の国学者「本居宣長(もとおりのりなが)」の和歌

「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂う山桜花」から名前が取られているのです。


土浦海軍航空隊と大和魂、予科練と神風特攻隊「桜花(おうか)」

特攻隊の部隊名には「山桜隊」や「葉桜隊」など桜の名前にちなんだものがあります。

桜の花びらのように潔く散る大和魂という洗脳であり、これは本居宣長の美しい和歌の悪用です。

今だからそういえますが、当時はそれどころではなかったでしょう。

なんという歴史なのでしょうか。

良い悪いではありません、ただただ心が震えます。


参考・引用文献

『第29回企画展 土浦桜物語ーサクラに読みとく土浦近代史』(土浦市立博物館・平成20年)

平成29年4月撮影

平成29年4月撮影

平成29年4月撮影

平成29年4月撮影

平成30年撮影

写真提供:上野雅洋さん


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