【石岡市】神生家の殿桜

平成27年4月撮影

茨城県石岡市 神生菌類研究所

品種:殿桜

樹齢:750年

指定:旧国指定天然記念物(現在は解除されている)

別名:藁穂の種蒔き桜、吉生の山桜


由緒:由緒は明らかではないが、広大な神生氏の邸宅入口に繁茂して居る。俗に、種蒔櫻と呼ばれ、此の開花を見て、水稲を播種するので、昔から地方の名木であった。主幹の外、五本群生して、丁度、大戸の大櫻と同じ型である。全部の根幹は二十三尺ある。

『茨城懸巨樹老木誌・下巻』(昭和15年・関右馬允)


藁穂の種蒔桜

現状:主幹の外に5本群生していて、根周23尺(7m)に達する。ヤマザクラである。

来歴:殿桜とも呼ばれている。村人がこの木の開花を見て水稲を播種するので有名である。

『日本老樹名木天然記念樹』(昭和37年・財団法人帝国森林会)


昭和15年に発行された『茨城懸巨樹老木誌』に、巨大なヤマザクラとともに関右馬允(せきうまのじょう)先生が写っている写真が掲載されています。また、全国の天然記念樹をまとめた『日本老樹名木天然記念樹』では、とんでもないサイズの殿桜の写真が掲載されています。そして『茨城桜見立番付』(昭和58年・川上千尋)では、「昔日の名巨樹」という欄に「八郷・吉生の山桜」として記載されています。


以前は国の天然記念物に指定されていた県下最大級の老桜です。 

「朝陽射す 夕陽輝く大桜」 

この言葉は殿桜の所有者である神生家に伝わるものです。 昔は柿岡(現在の石岡市柿岡)の街中からもこの桜を見ることができたそうです。

平成27年4月撮影

現在86歳(平成27年取材時)になるというご主人に大変興味深いお話を伺いました。 神生家に代々伝わる伝承は、必然と殿桜の歴史を裏付けるものだと感じました。  

神生家の歴史は古く、また非常に珍しい名字です。 

神が生まれる。

これは平安時代この地に根ざした国司ではないかとのこと。 ご主人の名前は神生家の初代である「神生彦兵衛(かのうひこべえ)」と同じ名前が付けられている。 これは神生家に伝わる伝承、いわば家訓を後世につなぐ意味があったのだといいます。 彦兵衛とは「兵を率いて皇(彦)を衛る」という意味があり、神生家にとって大切な名前をご主人は付けてもらったとのこと。 


大同元年(806年)小栗半官が4万騎の軍勢を率いてこの地に駐留した際、黄金100万両を埋めて南へ進軍した。 この話は南に位置するかすみがうら市の四万騎ヶ原という広大な農地の伝承とつながる逸話です。 

※ただし四万騎ヶ原の伝承は八幡太郎こと源義家と奥州征伐なので、どこかで小栗半官に話が変わってしまったものと思われます。  

そしてその証として正一位稲荷大明神を神生家の敷地に祀ったという。 


また、お庭にはご先祖が江戸で交流のあった甲州の殿様から苗木をもらって渋柿に接いだとされる、樹齢400年の柿の木(市認定保存樹)があります。 稲荷大明神の奥には樹齢400年の栃の木(市認定保存樹)があり、神生家では代々当家の主婦が家伝薬として栃の実を原料とした口内薬を製法している。これらも神生家の歴史を物語る存在です。 


その後、神生家は八百石の郷士であったが、慶長5年関ヶ原の戦いの折に、佐竹氏によって焼き討ちにあった。これは佐竹氏による藩内の有力者の力を削ぐための焼き討ちで、神生家以外にもたくさんの被害があったそうで、神生家は事前に避難していたことから命は助かったものの、その後大変な苦労があった。 そのことは絶対に忘れてはならないとして、神生家では現在もお正月の三が日は入浴せずに過ごすのだといいます。 

平成27年4月撮影

調べてみると、神生という苗字のルーツは大掾氏にあるようです。  大掾氏といえば、常陸国を治めたことで有名。  大掾氏は多くの庶家を輩出しましたが、その中に「神生氏」がありました。 大掾氏は豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったことを発端として佐竹氏に滅ぼされており、神生家の焼き討ちはこの時に起きたのでしょう。神生家に伝わる殿桜とそれら家伝は、非常に真実味のあるお話ではないでしょうか。

平成27年4月撮影

筑波山と殿桜

1万坪の敷地を有する神生家。 長い歴史の中で、確実に受け継がれる史実。 ご主人はキノコの菌類研究者として、農業をやっている人で知らない人はいないほど有名な方。 現在菌類の仕事は息子さんに代替わりして、ご主人はもっぱら畑と山の手入れに汗を流している。 86歳とは思えないほどお元気。 (平成27年取材当時)

平成27年4月撮影

大戸の桜(茨城町)と非常に似た花、葉色をしている殿桜

この殿桜はとても貴重なもので、多くの人に知ってもらいたい。 そう語るご主人。 何故天然記念物の指定が解除されたのか出来る限り調べてみたいと思います。ご主人に巻尺をお借りして、根周りを測らせてもらいましたが、ゆうに10mはありました。 主幹はかなり太かったそうですが、ツタウルシが密生していて、ご主人が学生の頃に枯れてしまったとのこと。 現在も幹には様々な植物が着生しています。 道の方まで伸びていた太い枝は約30年前に折れてしまったそうです。 100年前に茨城県内の巨桜を撮影してまわった関右馬允さん。現存している桜はわずか四本で、神生家の殿桜はそのうちの一本です。

平成27年4月撮影

稲荷大明神

平成27年4月撮影

平成27年4月撮影


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