【桜談義002】小松﨑定男さん、来栖丈治さん
平成31年1月26日 小松﨑樹木医の定松園にて
左から来栖丈治さん、坂野秀司、小松﨑定男さん、坂野しげ子
シダレ樹の植物園で有名な、かすみがうら市定松園の小松﨑定男(こまつざきさだお)さんと、下大津の桜保存会事務局の来栖丈治(くるすじょうじ)先生にお話を伺いました。
小松﨑さんとの出会いは平成31年1月20日につくばイノベーションプラザで開催した講演会に来てくださった時でした。小松﨑さんは、かすみがうら市で40年以上造園業をされており、全国区で活躍なさっているシダレ樹の専門家です。下大津の桜保存会の担当樹木医として活動されています。
来栖先生はかすみがうら市の市議会議員で、下大津の桜が貴重な存在であることを知り、保存会を立ち上げた方です。
下大津の桜は私も平成27年から毎年通っているソメイヨシノの巨樹です。
平成31年2月に開催予定の龍ケ崎市立中央図書館での桜企画展に、下大津の桜保存会様のコーナーを設けたいと思いまして、その展示内容のご相談でお邪魔しました。
その時の会談内容を「桜談義」という形で以下対談形式にまとめました。
小松﨑定男:
この後事務局の来栖さんが一緒に話しをしたいとのことで来ますので、先に相撲の番付の話ですけど、先日本割に行ってきたんです。お持ちかもしれないですけど、稀勢の里が正横綱の最後の番付です。何部か買ってきたんでどうぞ。私は毎回両国の本割は相撲が好きで行っているんです。でももう今回が最後ですね、稀勢の里が引退してしまったしね。稀勢の里の土俵入りは2回しか見れませんでした。
坂野秀司:
貴重なものをありがとうございます。母も好きで番付を集めているのでこれは嬉しいです。
小松﨑定男:
かすみがうら市宍倉というところに、木村さんという、日本で3番目に樹木医になった女性がいるんです。その人と一緒に下大津の桜を管理しています。これはその先生が撮った写真です。自由に使ってくださいということで昨日持ってきてくれたんでお渡しします。
坂野秀司:
実は母はこの近く宍倉出身なんです。なので今日一緒にお邪魔しました。貴重な写真をありがとうございます。写真を使う際は用途について都度お知らせさせていただきます。
小松﨑定男:
あら、宍倉ですか、いやあそうでしたか。宍倉はお母さん住所はどちらなんですか?
坂野しげ子:
実家は新生開拓です。
小松﨑定男:
そうですか、じゃあ船橋開拓の方ですか、同級でOさんという人がいましてね。
坂野しげ子:
そう船橋です、Oさんすぐ近くです(笑)
来栖丈治さんがいらっしゃって
来栖丈治:
おはようございます。遅くなっちゃってすみません。
坂野秀司:
おはようございます。
小松﨑定男:
こないだつくばでお世話になった坂野先生です。
坂野秀司:
先生じゃないですよ、やめてください(笑)
桜の番付を発表しています、坂野と申します。
坂野しげ子:
今日息子についてきました母です。宜しくお願いします。
小松﨑定男:
先日坂野さんの講演会にお邪魔して、貴重な時間を借りて下大津の桜が市指定天然記念物になった話とか、宣伝をさせていただいたんです。それで坂野さんは桜番付っていって、相撲の番付と同じものを作っているんです。
来栖丈治:
そうだったんですか、なるほど。
坂野しげ子:
写真は好きな方でして、全部自分で一本ずつ歩いて撮ってきた写真なので関心します。
下大津の桜(市指定天然記念物)下大津の桜保存会提供
小松﨑定男:
坂野さんは下大津に何度も来ていただいてるんで見てるかと思いますが、こちらは下大津の桜の写真ですね。坂野さんの写真はアップで撮られているんですが、なんとなく暗い感じで空が入ってないので、見たイメージがちょっと寂しいなって感じが正直していたんですよ。
坂野秀司:
うわ、これは良い写真ですね。
坂野しげ子:
私も二度ほど来たんですがどちらもちょっとね、雨模様で、こういう青空のところで撮りたいと思っています。
小松﨑定男:
今度龍ケ崎市でやるという企画展の内容をお聞きしたいです。一応市の指定にもなっている桜ですから勝手に話を進めるわけにはいきませんので。
坂野秀司:
はい、今回ご相談させていただきたい内容ですが、龍ケ崎市立中央図書館様から、先日のつくばで開催したような桜の講演会をやりませんかとお話をいただきました。そこで2月24日に講演会をやらせていただいて、2月24日から3月1日までの約1週間で、茨城県の一本桜とか桜名所の写真パネルなどを展示する企画展を開催することになりました。しかし、展示会場が広いので私の写真だけではもったいないといいますか、例えば「茨城県北日本花の会様」にて日立の大島桜とか日立平和通りの桜活動のPRをいただくとか、「桜川市地域おこし協力隊」の方で、桜川市での桜の活動の件とか、色々な地域、分野の方々に協力をいただいて、展示ギャラリーに入ったら、桜の写真コーナーがあったり、それぞれの団体様の活動内容が展示されているコーナーがあったりという、茨城県の桜の企画展として考えております。その一角に今回「下大津の桜保存会」の皆様の活動内容をご紹介させていただくコーナーを設けられないかと考えました。例えばこういう活動をして市指定天然記念物に指定されたとか、そのようなことをこの写真等をお借りしながら展示したいと思いました。色々な面から桜の展示があれば、写真展に来ていただける来場者の皆様にも深く楽しんでもらえると考えました。
来栖丈治:
その件は会長と副会長にはお話をしました。例えばどの程度の資料を展示するのか、写真を何枚とか、活動報告のデータは私と公民館長や役所でありますので、そういったものを準備しましょうか。これは活動が紹介された記事です。
坂野秀司:
はい、この記事のような資料をお借りできれば企画パネルが作れます。ポスターにまとめて会場に貼り出したり、写真パネルを作らせてもらって展示できれば、一区画面白いギャラリーが出来るかなと思います。制作などはこちらにまかせていただければ、完成したものを事前にお見せして確認していただきます。
小松﨑定男:
こんな話して申し訳ないですが、金銭的にはどうですか?大事なことですよね。
坂野秀司:
金銭的なことで言いますと、私の活動は一切利益を得ない活動としてやってきました。よほど特別な経費を除いて、1円たりともいただかないという理念があります。なので逆に今回の企画展に参加していただいた謝礼を私からお支払いすることもできませんし、私が謝礼をくださいということもないですし、お互いに金銭面は発生しないということです。本当に茨城県の桜を多くの方々に広める活動というだけです。実際にこの桜番付も私の写真だけではなくて、私が撮影をはじめた時点ですでに枯れていた桜の写真なども、写真をお持ちの方々のご厚意でお借りしてこういったものを作ることができております。そういった快く写真を提供いただいている方々に対しても、二次使用で私に利益が発生するようなことがあってはいけないと思っておりまして無償活動としています。
小松﨑定男:
いやいや素晴らしい。ますます俺気に入っちゃったよ(笑)あとこれは個人的な事だけど、パンフレットに載っている下大津の桜の写真を拡大したものを30部ばかりカラーコピーして無償で宣伝に行きました。市指定のさらに上の高みを目指すと一筆書きこんで事務局に話をして30部置かせてもらってます。大盛況で30部では足らなかったようですよ。これはあくまでも個人的な活動だからね(笑)
下大津の桜の古さについて
来栖丈治:
下大津の桜は実際に真鍋の桜より古いんですよね。それがどれがっていうのは難しくて、きっと5、6本っていう話が出ているので、我々が後から調べたことも同じなのかなと思っています。
小松﨑定男:
ただね口伝なのでね。予算をいっぱい取って炭素試験をやれば年輪が出る方法が科学的に学会で発表されていますね。ただそれは予算がかかりますし、土壌を調査したりとか、そこまでにやることがまだありますからね。近いうちに木村樹木医と土壌調査を無料でやる予定があります。
『出島広報 第15号』(昭和31年6月25日)
来栖丈治:
この資料に書いてあるんですけど、明治37年に樹齢5、6年の桜を植えたと。それと同じことを近隣の年寄りから聞いています。これはMさんから聞いて、それをKさん家のおじちゃんに「これは俺が小学校の時に担いで来たんだ」って言ったらしいです。それとこの資料に書いてあることと同じことだったという感想です。
『茨城桜見立番付』(昭和58年・川上千尋)
坂野秀司:
色々と桜の歴史を辿っていきますと、確実な史実で残っているパターンと、そして口伝として地元に伝わっているパターンと二通りありますが、私は両方大事だと思っています。学術的、科学的根拠も大事だとは思いますが、桜と人間の関係上、口伝というものにも魅力を感じますね。こういう樹齢の根拠となるようなお話になると、県内には他にも興味深いお話がたくさんあります。これは常陸太田市で高校の先生をなさってた川上千尋先生が昭和58年に発表された『茨城桜見立番付』です。ソメイヨシノの巨樹でいうと、さくら群部門で西の横綱に真鍋の桜、東の横綱に太田一校の桜を挙げてらっしゃいます。
小松﨑定男:
太田一校の桜は古いんだよな、この木も古い。この番付には下大津の桜は入っていないんだね。
坂野秀司:
はい、結構入っていない桜もあります。以前川上先生にお聞きしましたが、当時は知りえなかったそうです。今みたいに情報社会ではないですからね。なので樹齢の語りというのは難しいものがありますね。ただ私の『茨城一本桜番付 平成春場所』(平成30年)では、下大津の桜はソメイヨシノという品種の中では一番上位にさせていただいてます。これはこれまでインターネット上の記事や新聞記事を拝見しまして、下大津の桜の情報が世間に出てきましたのは確か3年前ぐらいでしょうか。来栖先生のブログ記事も拝見しまして、真鍋の桜と同年代だという書き方を当時のネット上ではされていましたので、それを知って平成27年に初訪問しました。私の番付では真鍋の桜は一本桜ではなくて五本桜なので別枠の「行司」としています。じゃあソメイヨシノの中で最上位はどの桜なんだろうと色々な面で考えた時に、太田一高も桜並木なんですね。そうすると日立市の助川小学校に明治大正昭和平成の4つの時代を生きている「四代桜」というソメイヨシノがありますが、あれよりも下大津の桜の方が1年前の植樹という部分で、四代桜よりも上の場所に格付けさせていただきました。ただ、やはりそれ以上に数百年の歴史を秘めたヤマザクラやシダレザクラの古木が茨城県にはあるので、どうしてもそれらの桜が番付上位を飾ってしまっているというのが現状でございます。ただ茨城県内で最古木といわれるソメイヨシノとしては、下大津の桜ではないでしょうか。あの太さといい。
小松﨑定男:
そうなんです、色々歴史とか踏まえたら、ああ、番付はなかなかこれ以上は上がらないなと正直内心思いながらいるんですよ(笑)ただ下大津の桜は今もまだまだ成長していますからね。真鍋の桜は大きな予算をとって土壌改善とかやりましたね、近年弱ってきているようですが、下大津の桜はほったらかしだったわけです。樹木医としての考えでは逆にほったらかしだったから今まで元気でいたのかなとも考えちゃうんだよね。
来栖丈治:
小学校の敷地でその後保育所ができて、ちょうど桜のまわりをかけっこする造りだったんですね。そんなに負担はなかったのかもしれませんね。
小松﨑定男:
真鍋小学校は人数も違いますからね、うちの方の学校は田舎だから少人数ですから、桜のまわりで遊ぶのにもきっと(少人数の保育園児達だから)土を踏み固めずに柔らかかったのがいいよね。
『夢 100年のあゆみ 下大津小学校』(創立100周年記念事業実行委員会)より
活動のきっかけと想い
来栖丈治:
2003年(平成15年)に下大津小学校の百周年記念事業というのをやりました。その時桜のことは気付かなかったんです。実際終わりの頃、記念誌を作ってしまってから知りました。ああ、この桜はどのぐらい経つんだろうということを考えました。記念誌には桜のことを書いている人もいました。例えば野球をやった時の写真に載っていたりする場合があって、ああなるほどと思ったんですが、記念誌を作る段階では桜のことを調べることは漏れ落ちちゃったんです。それで、ああこの桜は価値があるなと思って活動を始める流れになったわけなんです。
坂野秀司:
今は茨城県内各地で、桜を切るという話を多く聞きます。その中で桜を守っていこうというお話は本当に素晴らしいと思いました。真鍋の桜は、この冬見てきたんですが、かなり枝が折れていました。以前撮影した写真と同じ構図で定点観測として撮影してまわっているのですが、写真を比較すると、大きく枝が折れています。5本あるうちの1本は主幹が折れていて、ひこばえが成長している状態でした。ここ5、6年でだいぶ姿が変わってきておりますね。あれは校庭の真ん中ですし仕方ないですね。
小松﨑定男:
うちの方も近くに入れないようにしないとダメだよね。結構宣伝しちゃってるからね。
坂野秀司:
柵があるのにその中に入って桜の木の下から枝をあおるように撮影したがるカメラマンがいたりしますね。何のための柵だと言いたくなるような話です。桜の古木を追いかけているアマチュアカメラマンも増えています。そうすると、一定数悪い話が出かねないという現状です。それで桜の公開を中止する一本桜名所が茨城県内には何ヶ所かあります。
小松﨑定男:
市の指定になったのに看板や道路標識もないので、簡単な案内板があったらいいなという意見をいただきました。場所がわからなくて困っている人がいるみたいだからね。当然予算がかかることだからね。
来栖丈治:
まだ場所は定かではないですが、写真付きで市指定天然記念物の案内版を作る予定はあります。由来などを書いてと注文付けたのでそのために時間がかかっているのかもしれません。
坂野しげ子:
樹齢とかも入れていただくと見に来た人は良いですね。
坂野秀司:
私が在籍している水戸桜川千本桜プロジェクトでは、徳川光圀公ゆかりの地にヤマザクラを植樹する活動を行っていますが、記念碑も建立しました。石碑は高いですから会員の会費だけでは賄えないので寄付金を募って建てました。石は残る年数が違いますからね。
茨城県樹木医会総会研修会の様子 下大津の桜保存会提供
小松﨑定男:
長寿の桜はどこをみても水捌けのいい場所ですね。なんだかんだいっても土なんだよね。高台にあるのが良い。下大津の桜は現状を見守っていくのが一番だと思います。下手に手術したりしないほうがいいような気がする。人それぞれ考えが違うからなんとも言えないけれど。
来栖丈治:
平成25年2月の大雪で3本ぐらい枝が折れちゃって残念ですよね。もっと古い写真の方が豪華な桜でしたね。で、支えを作らないととなったんですよ。でその時超音波で樹齢を計ろうかと予算を組んだんですが、日本花の会の先生が見に来たら、百年桜に間違いなしなんだから、そのようなことは無駄ではないですかという意見をいただいて支柱を設けることに決めたんです。
坂野秀司:
水戸に徳川斉昭公お手植えのヤマザクラがありまして、近年病気で枝の一部が衰退していることから、やはり日本花の会から先生をお呼びして診断いただいて、先生のご指導の下で再生に取り組んでおります。なかなか古い桜を守っていくというのは大変なことですね。
下大津の桜は敷地内に数本、立派な桜がありますが、その管理も一緒にやられているんですか?
来栖丈治:
一緒です。口伝の5、6本というのはそれじゃないかなと思っています。天然記念物の指定は、保育園跡地の奥のものになったんですが、多分それは桜に一番負荷がかからなかったことが言えます。他の桜は県道ができたり交番、倉庫などが建って、舗装がされたので、そのことから桜が傷んだんですね。回復してきましたが、駐在所を建て替える時に根を切ったりされたかもしれません。
小松﨑定男:
頂いた予算はそれらの桜全部にかけて保護活動をしています。天然記念物に指定された1本に絞ることもできたんですが、全部を守っていこうと。
坂野秀司:
こちらが朝日新聞さんに取り上げていただいた時の記事のコピーです。
小松﨑定男:
いやでも正直ね、左近の桜のいわれね。なんで左近の桜が横綱なのかなと思っていたんですが、坂野さんの講演を聞いてその誤解がぱーっと解けました。いやこれは横綱にしなくちゃダメだと(笑)俺らの位置はこの辺りがやっぱりギリギリなのかなと思いました。当初、坂野さんが花の会に席を置いているとも知らなかったので、カメラマンが何をわかったようなことやっているのかと(笑)俺はもう40年桜に関わっているからね。接ぎ木からずっとやってきた人間なんで、その知識ではそれなりの自信はあります。現場ならばお任せなんで。
坂野秀司:
京都に有名な佐野藤右衛門さんという桜人、植木職人さんがいらっしゃいますが、まさに茨城県の藤右衛門さんですね(笑)
マリーゴールド植えの様子 下大津の桜保存会提供
正直、毎日のように見に行っているんです
小松﨑定男:
いやいや私はそんな立派なもんじゃないから、一介の百姓の親父だからね。ただ長年の経験があって技術的には負けない自負がありますが。私はそういう部分で桜にたどり着いたんです。桜ももちろん日本花の会に素晴らしい人がたくさんいますけど、私は特にしだれ樹が得意なんです。しだれの植物園という名前で日本中に売っているからね。しだれ樹といえば小松﨑といわれるぐらいになったと思っています。だから今までの自分の活動は無駄ではなかったのかなと思っています。それならば下大津の桜は私の母校の桜ですから。私が入学した時にこの桜はあったんで。私正直、毎日のように見に行っているんですよ。風が吹いた、雪が降った、気になって見に行くんです。去年の8月に葉が全部落ちてしまったんです。昨年は特別暑かったので、高温障害なんです。バラ科なので温度が高くなると、自分を守るために葉を落とすんです。40度以上が1週間続くと、自分の体を守るために休眠するんです。休むのに葉を落とすんです。その状況になってしまったんです。だから本当はもうすこし葉が付いてて、冬場に備えて養分を幹に蓄えたら100点ですけどね。なんとも言えないですね。ただ正直下大津の桜に注目しはじめたのはまだここ数年なので、10年も前から見ていたわけではないので、今市の指定天然記念物になったこともあって、急に夢中になっているような状況なんです。
坂野秀司:
平成27年に桜の存在を知ってはじめて訪問した時には花付きが悪かったんです。それで3年目の平成29年に今の桜番付に載せている花付きのいい写真が撮れました。ただ背景が青空ではないので、こちらにあるような素敵な写真が撮れたらいいなと思っていました。
来栖丈治:
2003年(平成15年)小学校の百周年の時に、小松﨑さんにはシダレザクラを何本もいただいたんです。石なんかも買い付けてきたりしたんですけど。小松﨑さんはシダレ樹を研究されてましていっぱい本なども持っていたので。
坂野秀司:
そのシダレザクラは道路向かい側の現在の小学校に植えたんですか?
小松﨑定男:
そうです。記念樹でね。そのことしか頭になくて、下大津の桜には全然気が付かなかったんです。
来栖丈治:
下大津の桜は見えていたんですが、あって当たり前という感覚だったのでしょうか。私は道路向かい側の現在の小学校に入学したので、小松﨑さんは古い方の入学でしょうけど。ただ、演劇鑑賞、映画鑑賞などで古い校舎を使うことがあったりしたんですけどね。
坂野秀司:
昭和58年に『茨城桜見立番付』を発表された川上千尋先生が、私に一番伝えたかったことは、学校の桜がもっとも素晴らしい桜の情景ですと。子供たちの成長を願って植えられていると。そして卒業、入学シーズンという人生の節目に咲く桜こそが、最も素晴らしいということでした。
来栖丈治:
それは本当にそうかもしれませんね。学校を新しく作られたり、学校を作ろうという思いでできました。そこに記念植樹しましょうというのは自然な流れですよね。未来を想像して植えてね。
坂野秀司:
植えた人はこんな立派な姿は見てないわけですからね。やっぱりそれが感動しますね。だから今回シダレザクラを新しい校舎側に植えられたというのもすばらしいお話ですね。
来栖丈治:
各地でシダレサクラの方が長寿だということで長持ちするというアドバイスをいただいてそういう流れになったんです。
小松﨑定男:
来栖さん、いい事聞いてきたんだよ。お寺にはシダレザクラ、神社にはヤマザクラ。
坂野秀司:
はい、番付を見ていただいてもわかりますが、昔から日本人は仏教とシダレザクラを紐づける風習があったようです。それと神道、いわゆる神社にはヤマザクラという風習が天皇家と神道に紐づいていますね。なので茨城県で桜の古木をまわっていますと、かなりの確率でシダレザクラの古木はお寺にありまして、ヤマザクラの古木は神社にあると。おそらくそういった植え分けする風習があったことと、徳川光圀公による神仏分離政策の影響も大きいのではないかと考えております。今現在樹齢数百年の桜を見ていると、それが見えてきます。立派な天然記念物のシダレザクラなどで現在はお寺ではないような場所も、昔そこにはお寺があったという例が少なくありません。例外はありますが、茨城県の桜はこの植え分けが顕著に出ています。
小松﨑定男:
2月24日の龍ケ崎の講演は席数が決まっているのですか?私は話はつくばで聞いたからだいたいわかりますが、素晴らしい話だから保存会のみんなで行って来たらいいんじゃないかと。
坂野秀司:
保存会のメンバーのみなさんはだいたい何人ぐらいいらっしゃるんですか?といいますのも、一ヶ所にみなさんが集まるような機会に、私100インチのスクリーンとプロジェクターを持っていますから、みなさんの前で写真を上映しながら先日つくばでやったような講演をやらせてもらえませんか?下大津の桜の写真もどーんと出して、もちろん無料ですから。
下大津の桜保存会 設立趣意書(平成29年4月1日)
桜の保護活動に対して
来栖丈治:
24日はもしかしたら4人ぐらいでお邪魔できるかもしれません。以前は花の会の樹木医の先生のお話を聞きに行ったり、弘前城で桜を守っている方の話を聞きにいったりしてきたので、なるほど桜の管理活動ってこういうことなのかという、こんな風なイメージで保存活動をやっていくのかなと、活動に向けて今までのもやっとしているものが少しづつ見えてきたような感じがしています。それぞれに気持ちが高まってきたように感じました。私が以前テレビで見たのは桜堤って、車が走っている道路側の枝を切るしかないとか、ある程度古木になると、子供を伸ばして、子供を育成しておいて植え替えるというような内容を拝見して、なるほどそんな保存活動もあるんだと思いました。
坂野秀司:
そうですね、ひこばえを生かして再生を目指す桜もあれば、あらかじめ子孫樹、いわゆる子供を近くに植えておいて代継ぎができるようにしておく桜名所もいっぱいありますね。これ二代目なんですとかって。枯れても大丈夫ですといった具合に。
小松﨑定男:
余計な話だけど、俺の所に子供居るからね。思ったらぱっとやらないとダメな性格なんで、待ってられないもの(笑)
坂野秀司:
まさに佐野藤右衛門さんですね(笑)
小松﨑定男:
たくさんの人にPRしているけど、あまりにも人気が出ると桜の周りを踏まれたりしないか心配している部分もあります。真鍋の桜の資料を閲覧したんですが、真鍋小学校は桜のまわりは子供たちが乗っても大丈夫なように鋼板といって板を敷いてその上に砂をかけてあるんです。だから根っこのある部分はふかふかです。あれは予算がかかっているからね。下大津ではちょっと無理だけど。
坂野秀司:
そこまでやっても年々古い枝が折れていってるわけですから、もうどうにも古木の衰退というのは難しいですね。
草刈りの様子 下大津の桜保存会提供
小松﨑定男:
下大津の桜は不定根といって、根っこが芯材の中に入り込んでいるんです。だから新しい芽が出てきて元気がいいんです。2mぐらいの所から6、7本落ちているんです。それが新しい子供というか、もう年寄りの根は退化しちゃって無いわけだから。だから100年以上生きているんだろうね。ソメイヨシノは普通は50、60年説ですけどね。でもそういった説は崩れちゃってるけどね、100年以上のソメイヨシノが青森県の弘前城に100本以上あるんだから。茨城県は数えるほどしかないけど。ただ茨城県は気候が良いからこのまま成長すればもっと太くなるね。下大津の桜は昔の記録と比較して1mぐらい太くなっちゃったわけだから。今4.5mあるね。
坂野秀司:
そうやって世代交代を進めていってるわけですよね。下大津の桜も環境がいいんでしょうね。茨城県を代表するソメイヨシノの名桜と言えますね。
小松﨑定男:
坂野さんがうまいセリフで下大津のサクラを宣伝してください(笑)
坂野さんのつくばの講演会だって私は保存会に承諾取らずに勝手に行ったんです。その日の朝に行くと決めて、仕事の恰好で行ったから(笑)質疑応答の時間に指してもらわなければならないと思ったからね。大事な時間を下大津の桜の宣伝のために使ってもらって申し訳なかったですが。
坂野秀司:
とんでもないです、いやそれがかっこよかったですね(笑)みなさん喜んでいただけたと思います。嬉しかったですよ、現場で桜を守られている方が来て下さるなんて、なかなかないですから。感激しました。
来栖丈治:
その講演はどういった内容なんですか?
つくばイノベーションプラザでの講演の様子
坂野秀司:
だいたい2時間構成で、これまで撮影してきた茨城県内の桜400ヶ所の写真を上映しながら、茨城県1300年の桜の歴史を語るといった内容です。この話を聞いていただければ、茨城県の桜というのはすごいなというのがわかってもらえると思います。お客さんが5人だって10人だってやりますから。
小松﨑定男:
いやみんな感動して、このパンフレットいただいて帰ったわけだから。
来栖丈治:
それは是非やりましょう。桜まつりの時にやりますか?
小松﨑定男:
あーだめだめ、桜の時期は彼が忙しいからだめだよ。最終の番付が完成するまでだめだよ。忙しい体なんだから(笑)
坂野秀司:
下大津の桜保存会の皆さまの活動の想いが聞けて、最終の番付ではなんとかもっと格付けを上げられないかと検討しています。ちょっとお待ちください(笑)
まだ下大津は120年、桜の世界では小学生
小松﨑定男:
これ正直、坂野さんの番付なんだからえこひいきとか無しできちんとつけてほしいです。番付の順位については、講演を聞いた時に、俺らの方のやつはここら辺が定位置なんだなと思って(笑)500年600年の桜にはとても敵わない、県の天然記念物だったり、名前の通っている桜だったり、伝説がある桜には敵わないんだから(笑)まだ下大津は120年、桜の世界では小学生だから。
坂野秀司:
ソメイヨシノの学術名を登録したのが、茨城県高萩出身の松村任三博士なんですよね。そうするとソメイヨシノという品種もなんだか茨城県にゆかりがあって、実際にソメイヨシノ発祥の地というのが現在の染井霊園ですが、そこは水戸徳川家の墓地ですし、ものすごく距離が近いというか、縁を感じる品種です。その茨城県のソメイヨシノの象徴として、真鍋小学校のソメイヨシノは五本桜ですので、平成の最後に一本桜として咲き誇り、天然記念物に指定されたばかりで、そして保存会の皆さんの活動と想い。茨城県内のソメイヨシノとして下大津は最上位であると、私は勝手に思っています。
小松﨑定男:
もうそれだけで十分だ(笑)
でも、常陽リビングさんの記事で下大津の桜を西の大関にしてもらいましたよね。
坂野秀司:
常陽リビングさんの茨城県南県西桜特集記事ですね。あのように捉え方や区分が変わってくると下大津の桜の立ち位置は変わります。例えば茨城県ソメイヨシノ番付を作ったとすれば、私の中で横綱は下大津の桜です。どの方向から切り取るかによってですよね。『茨城一本桜番付』の基準は、そういった桜を守ってらっしゃる方のエピソードや歴史的な逸話、それと幹周りや花付きの良さ、樹観、知名度とか様々な目線でウエイトを分けて点数評価をしているんですけど、これでいえば下大津の桜は知名度が上がってきたことや皆さまの活動などを評価していかなければならないと感じますし、番付はもっと上ではないかと思っています。
小松﨑定男:
確かに俺も大好きだから茨城名木百選とかそこら中歩きましたけど、実際につくばの講演で川上千尋先生が番付を作られたことなどを聞いて、坂野さんが言っていることが全て納得できて、任せなくちゃだめだと思ったんです。それまでは正直思ってなかったですからね、なんでカメラマンが勝手に番付作ってるのかなと思って、あの時お邪魔したのは番付の事しか頭になくて、質問も最初に考えていた内容と違ったんです。でも番付の理由や歴史の話を聞いたら、ああこれはだめだ、納得だと。そのことに関しては言えない、感謝以外にないと思ったし、この番付には載っているだけで凄いんだと俺は思ったわけです。下大津の桜の宣伝は最初からするつもりだったので、そっちの方向で質問をしたというわけでした。
坂野秀司:
ありがとうございます。ぜひ素晴らしい写真をお借りして、写真版の番付に使わせていただければと思います。やはり番付は写真を見た時に、確かにこの桜は上位だよなという説得力が必要なんです。おっしゃっていただいた通り、私が撮影した下大津の桜の写真は背景が暗いんですね。なのでこのような素晴らしい写真をお借りできればと思います。
小松﨑定男:
角度がね、遠くから撮影していますね、敷地内に入れなかったから良いアングルで撮れなかったということですね。角度が違うからね。望遠で外から撮ったんだなとわかったけどね。
平成29年4月坂野撮影
坂野秀司:
敷地を囲んでいる柵がだいぶ後ろですからね、カメラのスームレンズで狙うとどうしても背景に空は入らずに、後ろの林が背景になってしまいます。ズームの圧縮効果で花のボリューム感は出せるんですが、もっと近づけば空が入った構図で撮影できるんですけど、それは勝手に敷地内に入るわけにはいかないと思って、マナーを守って撮影してきた結果です。やはりですね、こういった活動をさせていただいている以上、ルールを守らないカメラマンは許せません。ずっと三脚を置いて退かないカメラマンとか、柵があるのにその中に入っていくカメラマンとか。本当にいるんですそういった人が。みんなで楽しむということができないんですね。とある県内のお寺様でご住職のご厚意で毎年ライトアップをされているんですね。ところが去年などはカメラマンがライトを勝手に動かし始めるんですね、光の具合が悪いからもうちょっとこっちだといいながら移動させたり、駐車場の入口に三脚を立てて、後から入ってくる車の進路を妨害したり、自分の写真のためにですね。それでご住職が悩まれていて、ライトアップは止めようかなとおっしゃっていました。ごく一部の方なんですけどね、自分勝手で酷いです。
来栖丈治:
撮りたいが故なんですね。やっぱりあんまり良くないんでしょう、長い間ライトを照らすのは。
坂野秀司:
最近は電球がLEDになって熱が出ないようになっているので、あまり影響はないんですかね?わかならいですけど。熱が当たると色々な面で影響がでそうですけどね。昔の人々は桜の近くで篝火を焚いて夜桜を愛でながらお酒を飲んだと聞きました。そうするとライトアップも、篝火のような色合いが良いですね。最近はライトアップもピンクや紫といった派手な色が増えてきましたけど、品がないですね(笑)もしくは桜の自然な色合いが出る白い光が良いと思いますね。
来栖丈治:
例えば3月末近くなってくると、どこが咲いたとか計画するんですか?
坂野秀司:
そうですね、こちらの写真版の番付には97枚しか載っていませんが、すでに茨城県内の一本桜は300本以上撮影していますので、番付に載せきれない桜がたくさんあります。今年もあと50本ぐらいを撮影する計画をしています。坂東市や龍ケ崎市のエドヒガンザクラから咲き始まります。エドヒガンが散る頃にソメイヨシノが咲き始めます。ソメイヨシノが散る頃にヤマザクラという感じで全部計算して、あとは緯度ですね。それと標高が200m高くなると1週間遅くなるんですよ。なので品種と緯度と標高とを全部計算してルートを考えるんです。同じソメイヨシノでも200m上の山では1週間遅いと。そうすると山の下でヤマザクラが咲いている時に山の上ではソメイヨシノが満開だったりするんですね。そういうことを考えて周らないと数が確保できないんです。
小松﨑定男:
計画性が無くては一番いい時期に撮れないもんね。
坂野秀司:
自分の地図に品種別に色分けした桜の名前を貼っておいて、例えばこの近くにはヤマザクラはこことここにあるというのを見やすくしてあります。現場でもすぐルート判断できるようにしています。
ショーを観ているようでした
小松﨑定男:
いやね、この写真をひとつひとつスライドで見せてもらいましたけど、ショーを観ているようでしたよ。音響も凄くて感動しちゃったよ俺。会場のみんなもう大満足。俺思わず音響が素晴らしい話を一番最初に言っちゃったでしょ。
坂野秀司:
ボーカルが入ってないようなBGMですと写真の邪魔にならないですし気分が盛り上がりますね。私はちょっと悲しくてドラマチックな雰囲気の曲が桜に合うような気がします(笑)あんまり明るい曲ですと、桜がすでに華やかなので。
小松﨑定男:
それが写し出されてくるんだよ満開の映像が、色々強弱つけて上手いんだまた。俺だけが味わったんではもったいないからさ(笑)
坂野しげ子:
写真も大きな画面の映像で観ると違いますよね。
坂野秀司:
こういった桜番付では1枚しか載せていませんけれど、色々な構図で撮影した写真や番付に出てこない桜などもあります。朝陽が照らす情景やライトアップとか、1本の桜でも何度も通っていますので、そういった写真をみなさんに観ていただいてます。
来栖丈治:
なるほどねえ。
千代田町のヤマザクラについて
坂野秀司:
かすみがうら市には「千代田町のヤマザクラ」という野寺地区に巨桜がありますね。恋瀬川の手前に。
小松﨑定男:
茨城百名木の時に行ったらあったんですよ。実際に切られる前の実物を観てはいるんですよね。西野寺ね。でもその後何年もしないで切られちゃったね。指定にはなってないから、要するにお墓の管理地だからね。
平成25年4月撮影
坂野秀司:
お墓の一番奥に太い幹のヤマザクラが残っています。太い幹が立ち上がっていて、この辺りで枝は落とされていますが細い枝がたくさん出ていて花を咲かせています。かろうじて生きていますね。あれは幹周りは相当なものだと思います。5mの世界ですね。それで茨城県のホームページに全盛期の頃の写真が1枚載っているんですね。それをなんとかお借りできないかという話をしているんですが、撮影者が見つからないために承諾を取れない状況です。あの桜を番付の上位に上げたいのですが、平成の内に写真がなんとかなればと思っています。私が撮影した写真というのは枝が落とされた後の写真しかありませんから難しいんです。あのヤマザクラこそ茨城県下に輝く見事な墓守桜ですけどね。その写真ではお墓を覆うように枝を伸ばしていましたから。
来栖丈治:
そうするとそのヤマザクラの写真を持っている人がいればいいわけですね。『千代田の木』という本を作ったことがあるんですよ。撮ってあるかもしれないですね。
坂野秀司:
探していますけどまず出てこないですね。私はお墓に咲く桜が非常に大切だと思っていますが、しかしよく切られてしまうんですね。墓地を管理する方々が落ちてくる枝や落ち葉の掃除が大変だということなんですね。
坂野しげ子:
やっぱりお墓の方が大事なんじゃないですかね、枝が落ちてきて墓石を倒してしまったりとかあったのかもしれないですよね。ほんとのお墓の上ですからね大きな桜が。
坂野秀司:
S市の共同墓地のとあるお宅のお墓の傍に咲いているヤマザクラの話ですが、そのお宅のお墓の周りにはカシの木など他にも巨木があったそうなんです。ところが共同墓地ですから、皆さんからこんな木は切ってしまえと、掃除が大変なんだといわれてそのカシの木などはやむを得ず切ったそうなんですね。ところがその方は桜だけは切れないということで、今も見事なヤマザクラが残っていまして素晴らしい風景を観させていただいてますが、そこだってこの先どうなるかはわかりません。他人様の墓石を傷つけたり倒してしまったりした場合、訴訟問題にもなりかねないというのが現代ですよね。だからこればっかりはどうしようもないと思います。ある意味天然記念物に指定されるというのは非常に大きいことかもしれません、簡単には切れなくなりますから。
来栖丈治:
そこは難しいジレンマがあるでしょうね。枝を伸ばし放題で道路にはみ出して危険だから切ってもらうしかないだとかね。
坂野秀司:
シダレザクラを育てていく中で、枝の剪定作業というのはあるんですか?
水と酸素と光
小松﨑定男:
基本的には無剪定です。なぜかというと俺は生産者なので、お客様の所の木の事であれば別ですが、生産している木でいえば、枝を切っちゃえば光合成の効率が悪くなります。光合成ができるほど木は育つわけですよ。だからそういう条件で、剪定は空が見える、下枝まで日差しが入ることが大事です。水と酸素と光なんだよね、光の先に温度がついてくるんだけどね。だからこの3つが揃えば育つわけですよね。要するに無剪定が一番育つんですよ。特別樹形が崩れない限りは無剪定です。私は生産もやっているんで、できるだけ無剪定。もちろん樹形を整える最小限はしますよ。最小限の剪定で葉っぱをたくさんつけて光合成をいっぱいさせると。光合成をいっぱいさせるということは成長するということだからね。光合成するだけでは生きていくだけしかできないんで、その養分を必要以上に使っちゃうと木は育たないわけです。余った分が成長に回るわけだから。基本的に剪定の場合ではそういうふうに二つに分けて剪定はしています。もちろん切った後は癒合剤を塗りますけどね。まあ癒合剤が無駄だという人は大勢いますけど。最近は2年ぐらい長持ちする良い薬も出ていますね。後は粘着のそういうものを塗っておくと、特にサクラ類には効果がありますね。
坂野秀司:
私が所属している水戸桜川千本桜プロジェクトという100人ぐらいの会員さんで動いている団体なんですが、やはり我々も花の会に所属していますから、花の会の樹木医さんに意見を頂きながら色々やっています。その中で花の会の先生方からのご教示も大事ですが、現場で動かれている小松﨑さんのような現地の樹木医さん、植木職人さん、こういう方々とも交流を持ちたいというのが代表の考えでもありまして、今後もお話を聞かせてもらったりしたいのでよろしくお願いします。
来栖丈治:
水戸市に1000本の桜を植えましょうということなんですか?
坂野秀司:
簡単に言えばそうなんですけど、水戸桜川というのは、桜川市の「桜川のヤマザクラ」を光圀公が水戸に移植したことに始まっているんですね。ところが光圀公がヤマザクラを移植した当初の場所というのが現状あまりヤマザクラが無くてですね、水戸駅南口の桜川堤の桜は綺麗なんですが、これはソメイヨシノ中心です。光圀公が移植したのはヤマザクラです。我々はその光圀公以来の桜川のヤマザクラという景観復活を願って、本家桜川でヤマザクラの種を拾って、水戸桜川の地で育てて苗木にして、それを光圀公ゆかりの常磐神社様や徳川ミュージアム敷地内に植樹したり、水戸藩ゆかりの巨桜の保全活動などをしている団体です。つまり単なる植樹ではなくて歴史を尊重した活動なんですね。その中で数年前にその光圀公が当初設定した水戸桜川の場所に住宅地が造成されて積水ハウスさんで96件の家が建つということになりました。積水ハウスさんがこの土地の歴史を調べてくれて、我々の活動を知ってくださいまして、歴史を尊重した街づくりを一緒にやりましょうということになったんです。96軒のお宅1軒1軒に桜を植えましょう。公園にヤマザクラ、シダレザクラ計4本を植えましょうと。計100本桜の街づくりということです。
小松﨑定男:
この間もその話が出た時に何を植えるのかなと思っていたけど、この機会に聞けてよかったです。質問がいっぱいありすぎちゃったからね(笑)
坂野秀司:
本家桜川の櫻川磯部稲村神社様で種を拾って、それを育てている畑も光圀公が水戸桜川とした地域、もしくは徳川斉昭公が桜ノ牧とした地域なんです(笑)
水戸桜川千本桜プロジェクトの苗圃
小松﨑定男:
凄い。それがスライドで上映された代表の方のヤマザクラがある畑ですね。
坂野秀司:
そうです(笑)
来栖丈治:
そういう歴史と同じような形で植樹しているということですね。桜川市は歴史があるでしょうからね。
坂野秀司:
私なんかのヤマザクラ愛好家は、近代的な水戸駅南口の桜川堤のソメイヨシノ並木は本来のヤマザクラだったなら、もっと水戸らしさが出るのになと思ったりします。ただ現状のソメイヨシノも素晴らしい景観ですのでそれはそれで良いと思っています。
小松﨑定男:
桜川は平安時代の話、1300年の歴史なんだからとても敵わないよ。敬意を表すほかないですね。桜番付の順位もそういった意味では頷けちゃう、納得しますよ。つくばの講演に行って納得しました。これ、敵わないものは認めるほかないからね。
来栖丈治:
どこでもそういった営みというのはあったんでしょうけどね、途中で枯れちゃった切っちゃったということもね。学校ができる歴史なども同じでしょうから、同じ時期に植えられた桜もたくさんあったはずですよね。
坂野秀司:
まだまだこの出島エリアも、神社仏閣を訪ねてみれば、もしかしたら知られざる古木があると思います。御神木としてヤマザクラが咲いていたり、部落の守り神などは一般の人は立ち寄らないですから、そういうところにあるんですよね。
来栖丈治:
あまり価値などは考えないですからね。あって当たり前の感覚ですから。
坂野秀司:
結構歩くとどんな小さな神社でも、社殿の近くにヤマザクラが植わっていることがあったりしますね。神社は神様をお祀りする場所ですから、ヤマザクラを植えるという風習が残っていたりするんですよね。多分かすみがうら市もじっくり歩いて調査をすれば、桜の古木があったりするんじゃないでしょうかね。観光地的な桜名所、並木名所という桜も大切なことですが、私が一番追いかけたいのはやはりそういった地域に根差している歴史がある古木。そしてそれらを植えた人々の気持ちを大事に捉えていきたいですね。どういう思いで当時植えたんだろうなという。間違いなく下大津の桜は、未来の子供達のために植えたわけですよね。その気持ちってすごい美しいなと思うんですよね。
天然記念物指定書
小松﨑定男:
この木をね、何年生かせばいいんだって言ったら、100年200年後も後世に伝えたいと。だから大変なんだよ(笑)
坂野秀司:
本当にひこばえであるとか、代継ぎ樹という考えでいけばなんとかできますよね。
現状維持が大切
小松﨑定男:
つなげることはできるよね。ただね、まずは今の現状をいかに維持するかだからね。年々花数が少なくなってきちゃったんだよね。下の方を見るとね、5個のやつもあるんだけど3個2個が結構出てきちゃったんで、2個はもう危険だからね。水分が上がってこなければその枝が枯れちゃうからね。だからどれだけ上の方に水力を上げることができるかっていうのが今後の課題かなって俺は思ってるんだけど。それには土壌の診断をまだやってないんで、近いうちにやろうという話をしているんですけどね。
来栖丈治:
木村さんから話がありました。20センチくらい下の土をやればいいのかな。
小松﨑定男:
まず土壌の診断をしてもらって、場所も全部測量して、東西南北計ってやならいとだめなんだわ。ただ漠然とやっちゃったんではだめ。場所の状況によって違うわけだから。透水試験もやってね。
桜は根っこは下じゃなくて水養分吸っているのは上の方の根だからね。
来栖丈治:
木がこうあるとすると、どの程度踏み込まないエリアをとればいいんですか?
小松﨑定男:
基本的には枝の出ているところまででしょう。実際にはそれ以上伸びているんだわ。普通、本なんかの勉強では枝の張り出しているところまでって載っているけど、実際はもっと広がってるから。そうでなければ大きい木は支えられないわけだから、何倍も伸びている場合があります。それとなんで伸びちゃうかっていうと、近くで栄養分をとれないと、水を吸うために水がある方に伸びていくわけです。植木屋なんで今まで数えきれないほど植木を掘ってきましたが、そういう例は多々あります。枝の端の辺りまで根っこが来ているというのが一般的な教科書だよね。でもそういうのは一本もないよね、現実はそうでもないね。
来栖丈治:
いやあしかし驚きました。すごいですね知識の宝庫というか、ああびっくりした。
小松﨑定男:
楽しみでしょ(笑)ある程度事務局でやってもらうならお願いしちゃった方がいんじゃないの。総会で打ち合わせしてね。そんな小さくちゃだめだからな、市を上げてやろうな。
坂野秀司:
いやいや、まずは保存会の皆さまの前でできればと思いますので、よろしくお願いします(笑)
つくばの次に龍ケ崎市でやりますが、こないだ桜川市でもやりまして、各地で色々お話をいただいてますので、こういった場をいただければ、茨城県の桜を好きになっていただけると思いますので。
来栖丈治:
どういう方法が良いかというのを相談してみます。どういう人がこの番付を作っているのかなとか、そういうのが気になってみんな来てくれたりね。
坂野秀司:
本日はありがとうございました。
小松﨑定男:
最後に全員で写真撮りましょう。
以上がこの日の桜談義の内容です。
その後、平成31年2月に龍ケ崎市立中央図書館での企画展「常陸国龍ケ崎 観桜会」を開催し、下大津の桜保存会コーナーを設置して大好評でした。
平成31年6月には下大津の桜保存会の総会に参加させていただいて、桜写真のスライド上映解説を実施し、保存会に入会しました。
令和元年11月に発表した『茨城一本桜番付 平成春場所 彰往考来』で下大津の桜を西前頭筆頭に選出。
令和2年3月1日には、かすみがうら市あじさい館で大規模講演会を開催する予定となっております。
それらの模様は下記の記事でご覧ください。
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