【匝瑳市】飯高檀林の黄門桜

千葉県匝瑳市

元禄11年(1698年)に徳川光圀公が日蓮宗の古刹である飯高寺へ訪れたことを記念して植えられた桜並木のうち唯一現存する一本。 

品種はヤマザクラで、幹周りは5.5m。

市指定天然記念物

桜並木は飯高檀林から佐原(香取市)まで続いていたといわれています。

飯高檀林とは日蓮宗の学校です。

詳しくは水戸桜川千本桜プロジェクトの記事を参照ください。

飯高の黄門桜から偕楽園の二季咲桜へ~水戸藩・法華信仰・桜~

千葉県の東総地区、匝瑳市(旧八日市場市)に飯高寺、通称を飯高壇林という日蓮宗の古刹があります。天正元(1573)年に日統によって関東ではじめての日蓮宗の学問所=壇林として開かれ、明治7(1874)年の学制の成立まで約三百年もの間存続しましたが、最盛期は六百~八百人もの僧侶がここで学んだといわれています。 家康公の側室で水戸藩初代藩主の頼房公の生母、お万の方養珠院夫人は、父方から安房勝浦城主正木氏、母方から北条氏の血を引く熱心な法華信者でした。その働きかけもあって北条氏の縁者を何人も家臣団として採用していたため、水戸徳川家には法華信者が多く、特に奥勤めの女中には法華信者となったものが少なくありませんでした。光圀公の乳母である三木夫妻や養育に関わった老女高尾は、その典型です。そして何より水戸家の奥に勤めていた頼重公・光圀公の生母お久の方・久昌院夫人もその一人でした。 養珠院夫人は日遠という僧に深い信頼を寄せていましたが、慶長13(1608)年、日蓮宗と浄土宗の宗論(教義論争)をめぐるトラブルで、家康公から日遠が処罰を命じられると、日遠と自らの分の白装束を縫って命がけで日遠を守ることをアピール。家康公は折れて日遠を赦すこととなり、養珠院夫人と日遠の絆は強まっていきました。 日遠は慶長5(1600)年から5年間、飯高檀林の化主(校長)をつとめており、その後日蓮宗総本山・身延山法主、大本山・池上本門寺貫主など日蓮宗最上位の責を担いました。この日遠を師と仰いだ養珠院夫人は、日遠が腐心した飯高檀林の整備を大いに支援していますが、特に檀林の鎮守として妙見社と七面社を寄進しているのは注目されます。妙見とは北斗七星の化身である妙見菩薩(天御中主神と一体とされる)で、七面とは身延山を守護する七面山の女神・七面大明神に対する信仰です。江戸前期以降、飯高檀林で学んだ僧たちが故郷に戻って自分の寺に妙見堂・七面堂を建てて妙見・七面信仰のブームが起こりました。養珠院夫人は、元和5(1619)年、家康公の菩提を弔うため身延山で法華経一万部読誦の大法要を行いますが、その満願の日に、女人禁制の山であった七面山に初めて登り、女人禁制を解きました。このことで、全国に女性の間に七面山の信仰が広まったと言われています。水戸の偕楽園は造成以前には七面山とよばれて、七面大明神の祠堂が置かれていました。光圀公の妹・芳

水戸桜川千本桜プロジェクト


 


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