【足立区】荒川堤の五色桜

荒川堤の五色桜(江北の五色桜)

東京都足立区 都市農業公園


五色桜とは桜の品種名ではありません。

荒川堤は様々な品種(色)の桜が咲き誇ることから、当時の新聞に「五色に彩られ」と記事が紹介されたことにはじまります。

あまりにも素晴らしい憧れの名勝地。 その風景に圧倒されました。 

特に都市農業公園には40種約400本の桜が植えられていて、資料館などもある五色桜の名所です。 

芝生広場には34品種86本の桜が植えられています(平成26年調べ)

まさに五色の様相

公園外周部 都道107号東京川口線沿いの五色桜

約200本が植えられています。

公園外周部 都道107号東京川口線沿いの五色桜

五色桜の歴史や活動記録が展示されている資料館。

貴重な資料を見ることができます。

日米桜寄贈100周年記念植樹 レーガン桜

名勝荒川堤櫻の碑

大正13年(関東大震災の翌年)、史蹟名勝天然記念物保存法によって、荒川堤の桜が名勝に指定されました。

その翌年に建立されたのが上記の碑です。


五色桜がいかに凄いか。 

茨城県にも各地に植えられているカンザン(関山)や一葉(イチヨウ)などの江戸時代からの歴史ある里桜。 これらは、荒川堤の五色桜がなければ現代に存在しなかったといわれる桜です。 

五色桜のはじまりと保存活動、そして海外や全国への移植は、現在の日本の桜にとって非常に重要な歴史です。 


平安時代から品種改良がされてきた桜。 桜は交配を繰り返すと姿が豪華になる習性がある。 それらを接ぎ木などで何百年も継承し貴族や大名はコレクションしてきた。 

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特に江戸時代には盛んに新たな桜が造られたようで、江戸時代後期には250品種が存在。 大名屋敷や神社仏閣に植えられていた。 

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明治維新になり、神社仏閣が衰退、大名屋敷は取り壊され、桜も伐採される。 

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駒込の植木職人「高木孫右衛門」は名桜の消滅に危機を感じ、大名庭園などの桜を自宅に移植して保存した。(これがはじまり) 

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荒川の堤防が改修される際に、後の江北村村長「清水謙吾」が友人の高木孫右衛門に相談し、78種類3225本を荒川堤(江北から西新井にかけて)に移植した。(この時ソメイヨシノ一辺倒の植樹としなかったことも凄い) 

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荒川堤は東京最大の桜名所となり、様々な品種が咲いていたことから「五色桜」と呼ばれるようになり、数々の名桜が小石川植物園や新宿御苑に移植され、また全国にも広まる。 そして、アメリカワシントンのポトマック河畔にも数多くの品種が寄贈される。(この海外や全国への寄贈、移植が後に役立つ) 

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大正時代、公害や開発による伐採で五色桜の本数が減りはじめる。五色桜を守るため、「船津清作」や「三好学」が保存活動を行う。

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荒川堤の五色桜、大平洋戦争で壊滅する。 

アメリカワシントンのポトマック河畔をはじめ、全国からたくさんの名桜が里帰りして、荒川堤の五色桜が復活する。 

現在にいたる。 


はじめに高木孫右衛門が移植保存したり、荒川堤から他所に移植していなければ、今の五色桜はなかったということ。 この桜史を知って荒川堤の五色桜や、茨城県各地の八重桜、里桜を見てください。 桜はソメイヨシノだけではありません。 また、野生品種のヤマザクラやエドヒガンも魅力的ですが、五色桜に代表される、八重桜、里桜も先人が造り上げてきた宝物なのだと思います。 

荒川左岸鹿浜橋緑地(桜づつみ)

荒川河川敷と東京スカイツリー 果てしなく続く桜並木。


荒川の土手に18品種約120本の「里帰り桜」が咲く。

黄色い桜「鬱金(ウコン)」


平成31年撮影

参考文献『江北の五色桜 船津資料からみる日米桜友好100周年』(江北村の歴史を伝える会)


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