【水戸市】妙霞台の桜

令和2年3月撮影

茨城県水戸市 弘道館


妙霞台とは旧町名桜町の北側にあった地名です。

天保2年、京都御所左近の桜の実生の苗木を3本賜った徳川斉昭公の夫人である吉子女王。

その苗木は江戸の水戸藩上屋敷小石川藩邸に植えられました。

その桜のひこばえからとった苗木(2代目)が弘道館の正庁前に移植されました。それが弘道館左近の桜です。

そして安政時代、弘道館に勤務していた水戸藩士小沢敏行がその左近の桜からひこばえ1苗を得て、妙霞台の自邸に植えたものが成長して花を咲かせたので、吉子女王に歌一首を請いました。


「天さかる ひなにはあれと さくら花 雲の上まで さき匂はなん」


小沢氏はその桜の下に下記のような歌碑を建てました。

「この花は南庭の宮の桜の種なり。原種は弘道館の庭にあり。天保二年我が烈公夫人新たに実を天賜に得て斎来し、安政中予館職にあり、一苗子を得て庭中に植う。花をつけて清艶原種に異ならず、夫人聞いて歌を詠じ親書して之を賜う。乃ち謹んで石に刻し松平雪江写す所の花形をその四圍に彫り以て花下に置く。更に青山鉄槍爺に請うて之の記を作り以て子孫に伝う。」(明治二十一年)


京都御所紫宸殿前の左近の桜の系譜であるこのヤマザクラを大事にされたようです。


小沢氏邸に建っていたその碑があった場所は約80年の間に荒れ果てて忘れ去られていました。

昭和39年春、上市桜町の裏手杉山崖下の荒れ地に半ば隠れていた碑を見つけた関孤円(茨城新聞社常務取締役)は、当時の岩上茨城県知事に依頼しました。

そして昭和42年夏、弘道館玄関前横のヤマザクラの元に移設されました。


参考文献:『水戸の心』(関孤円・昭和44年)

令和2年3月撮影

現地案内板より

令和2年3月撮影

令和元年9月撮影

平成29年4月撮影



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