【水戸市】弘道館左近の桜

平成29年4月撮影

写真提供:坂野しげ子(小美玉市)

茨城県水戸市 弘道館


水戸に左近の桜がある重要性

水戸藩9代藩主徳川斉昭公の正室、登美宮吉子夫人は宮家出身です。

天保2年(1831年)の降嫁の際に、京都御所紫宸殿左近の桜の種から育てた苗木鉢植え3本を仁考天皇より賜りました。 

紫宸殿(南殿)左近の桜といえば、平安時代からの伝統ある天皇家の象徴的なヤマザクラです。 

このことからは水戸徳川家と天皇家の距離が近かったことがわかります。 

苗木は当初江戸の水戸徳川家小石川藩邸上屋敷に植えられましたが、天保12年(1841年)斉昭公による水戸弘道館落成にあたり、その左近の桜のひこばえが正庁前に移植されました。

(当初小石川藩邸に植えた際に、吉子夫人はそのことを石碑に記しています。現在その石碑は水戸市の徳川ミュージアム敷地内に保存されています(非公開)) 

つまり左近の桜は吉子夫人の結婚を祝う記念樹ですが、尊皇攘夷を掲げた水戸藩の弘道館に、尊皇心の象徴でもある京都御所左近の桜を植えるということは、とても大きな意味があったことでしょう。 

このことについて詳しく解説された水戸桜川千本桜プロジェクトの記事をご覧ください。

現在の弘道館に咲く左近の桜は3代目です。

初代は前途の通り、水戸藩上屋敷小石川藩邸に植えられた左近の桜です。 

そのひこばえが水戸弘道館正庁前に植えられた2代目。  

しかしこの2代目は戦争等で枯れてしまいました。 

昭和38年(1963年)、戦後の復旧改修工事完了を記念して、茨城県が宮内庁より、京都御所左近の桜の子孫樹(樹齢7年)苗木3本を受領し、弘道館の正庁前と偕楽園好文亭前の広場に植えられました。 これが現在の3代目です。


偕楽園左近の桜については別記事を参照してください。

平成26年4月撮影


平安時代、源氏物語に描かれた樺桜(かばざくら)

一説に、古代には山桜のことを樺桜と呼んだそうです。白樺が語源という話もありますが、樺を「かにわ」と呼ぶと、古代の上溝桜の呼び方でもあったそうですし、山桜の樹皮を樺と言って、それを用いた樺細工というものもあります。まあ、これも所説あるのですが・・・省きます。また、白花茶芽が多い山桜で、開花時の山桜の葉芽の色でオレンジがかった茶色のことを樺色と呼びます。櫻川磯部の樺桜の葉芽が正にこの色です

参考引用:サクラサク里プロジェクトS氏


京都御所左近の桜の子孫樹である弘道館左近の桜もまさに樺桜の色合いといえるかもしれません。

平成26年4月撮影

ヤマザクラは開花時に葉芽が出ます。花の色形、葉芽の色、開花時期などが一本ずつ異なるのがヤマザクラの魅力であり、ソメイヨシノに代表される園芸品種との大きな違いでもあります。

平成26年4月撮影

存在感あふれる左近の桜。

平成29年4月撮影

写真提供:坂野しげ子(小美玉市)

左近の桜。右近の松。

桜との組み合わせの最上級は松といわれています。

令和2年3月撮影

『水戸維新-近代日本はかくして創られた』(マイケル・ソントン・令和3年)掲載写真


姉妹樹である偕楽園左近の桜が令和元年9月の台風で倒木しました。

水戸の尊皇の心の象徴でもある左近の桜の重要性を改めて認識するとともに、後継樹の植樹が待たれます。

令和2年3月撮影

令和2年3月撮影

令和2年3月撮影

令和2年2月4日、水戸城大手門の復元が完成しました。

城内から眺める弘道館の構図は、今注目の景観です。

令和2年3月撮影

令和2年3月撮影

令和2年3月撮影

第15代将軍、徳川慶喜公が過ごした場所としても有名です。

令和2年3月撮影

令和2年3月撮影

令和2年3月撮影

令和2年3月撮影

令和元年9月撮影

令和元年9月撮影


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