【水戸市】桜野牧の山桜
平成30年4月撮影
茨城県水戸市 丹下田園都市センター
推定樹齢160年
市指定保存樹木
徳川斉昭公お手植えの山桜
黒船が来航し、外国からの脅威に立ち向かわなければならない緊迫した時代。
徳川斉昭公は領内で軍馬を育てるために、水戸桜川の南側、丹下原から大戸原という広大な原野に御料牧場を造成しました。丹下原とは現在の水戸市見川、河和田、小吹、萱場で、一の牧二の牧と呼ばれていました。 大戸原は茨城町大戸と水戸市萱場で三の牧です。 これらの総称が桜野牧(桜ノ牧)です。
平成27年4月撮影
丹下一の牧開拓記念碑と桜
桜野牧は牛馬を放牧するために周囲を土塁で囲み、そこにはたくさんのヤマザクラが植えられました。 ここで産出された馬には桜の花を象った焼印を押したそうで、現在の桜ノ牧高校の校章はこの櫻野牧御印が使われています。
また、大戸原といえば、国指定天然記念物の大戸の桜です。これは徳川光圀公が愛でたと伝わる名桜。 つまり斉昭公は光圀公が設定した「水戸桜川」という本家常陸桜川由来のいわば聖地から、光圀公が愛でた「大戸の桜」に至る広大なエリアを牧場として開拓し、そこにヤマザクラを植えたのです。
本家常陸桜川由来のシロヤマザクラこそ、光圀公や斉昭公が愛した水戸の桜風景であり、桜野牧の存在はそれらを証明する場所のひとつです。
斉昭公は他にも偕楽園桜山を造成しましたが、当然そこもヤマザクラが植えられていましたし、弘道館左近の桜に至っては、京都御所左近の桜(シロヤマザクラ)の子孫樹です。
平成22年4月撮影
写真提供:風の窯 新井倫彦先生(笠間市)
枝上部まで花を付けている時代の貴重な写真をお借りしました。
平成24年4月撮影
写真提供:水戸桜川千本桜プロジェクト
上部まで花を付けた最後の年となった写真です。
平成27年4月撮影
平成27年4月撮影
平成27年4月撮影
樹勢の衰えが目立ち始めた平成27年春。写真右手の枝にはほとんど花が付いていないことがわかります。
平成27年4月撮影
平成30年4月撮影
平成30年4月撮影
平成30年4月撮影
写真提供:坂野しげ子(小美玉市)
平成31年4月撮影
平成27年11月撮影
桜野牧の山桜再生事業
平成27年11月、水戸桜川千本桜プロジェクト他地元有志による「桜野牧のヤマザクラ」の再生活動に参加しました。 枝の上部に花が付かなくなって、弱っていたヤマザクラ。 日本花の会の樹木医の先生指導の下、桜の周りを掘り起こして痛んだ根を切ったり土壌の回復を行います。 掘ってみてわかったことは、かなり悪条件の土壌だったことです。 枯れかかった枝の除伐作業も後日行われました。
このような経験はなかなかできるものではありません。 プロジェクトに参加してみて、桜を守っていくことは本当に大変なことなんだと実感しました。 桜の維持はたくさんの人々の力で成り立っていることであり、またたくさんの人々の思いを背負っているのです。 春にすばらしい景色を楽しませてもらえることに感謝します。
平成27年11月撮影
平成27年11月撮影
令和2年3月8日撮影
平成25年あたりから元気がなくなってきて、花を付けない枝が出始めました。
水戸桜川千本桜プロジェクトでは、平成27年より地元の方々と本格的な樹勢回復事業を行ってきました。この日は枯れた枝を除伐するということで見学させてもらいました。
日本花の会より専門研究員Kさん立ち合いのもと、除伐作業が進められました。
一番太い枝にチェーンソーを入れると、真ん中に石が埋まっていたり、死んだスズメバチやオサムシ、トカゲなども出てきました。良くも悪くも様々な命を育む巨樹です。
プロジェクト稲葉代表をはじめ、地元の人たちにとっても苦渋の除伐だったことと思います。桜を生かすためとわかっていても、枝を落とされる姿を見るのは辛いものでした。しかし今回の作業は、台風などによる倒木被害のリスク回避という意味でも必要な事です。古桜を守っていくのは大変なことなんだと、改めて実感しました。
このヤマザクラに関わる全ての方々に敬意を表します。
令和2年3月8日撮影
花を付けない枯れ枝を除伐した後の状態。
令和2年3月8日撮影
専門研究員さん指導のもとで殺菌の薬「トップジンMペースト」を塗りました。
令和3年3月撮影
樹勢が回復し、たくさんの花を咲かせてくれました。
令和4年7月撮影
かすみがうら市・定松園の小松﨑樹木医により、後継樹の苗木を造るために、取り木という手法が試験的に実施されました。1年かけて進められるそうです。
水戸の歴史あるヤマザクラ風景が人々の記憶から消えてしまう前に、本来の姿を見直すべきではないでしょうか。 水戸桜川千本桜プロジェクトは、それらの歴史に基づいた景観復活を目指し、ヤマザクラの再生と苗木の植樹活動を行っています。
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