【常陸太田市】旌桜寺跡の旗桜
平成25年4月撮影
茨城県常陸太田市 旌桜寺跡
康平5年(1062年)、源頼義、義家(八幡太郎)親子が、奥州征伐(安倍貞任を討った)の帰りにこの地で休息をとったといわれており、その際旗竿を挿したらこの桜が芽吹いたという伝承が残っています。現在の旗桜は3代目といわれています。
康安元年(1631年)、この地を治めていた佐竹義篤がこの地に大沢山瑞龍院を建立。境内の桜が大変見事だったことから「旌桜寺」と名付けられました。
江戸時代初期、徳川光圀公によって祠堂が建立されました。そこには源頼義、義家親子の位牌が納められました。光圀公によって瑞龍山麓の荒野にあった東光寺をここに移したともいわれています。
光圀公は旌桜寺には何度も訪れたようで、和歌が残っています。源氏の流れを組む徳川家ですので、特に大事にしたのでしょう。
すぐ近くには歴代の水戸藩主が眠る墓所「瑞龍山」があり、光圀公もそこに眠っています。また、江戸時代に描かれた「常陸名所図屛風」(個人蔵、岩手県奥州市寄託)には、一際大きくたくさんの桜とともに旌桜寺が描かれており、当時相当なる桜名所だったことがわかります。
様々な伝承が残る旗桜ですが、最も重要なことはその花に特徴があることです。雄しべが花びらに変化して、まるで「旗」のように見えることから「旗桜」といわれています。全国的にみても、旗桜の巨樹は珍しく、旌桜寺跡の旗桜は非常に貴重な桜といえるでしょう。平成25年から定期的に観察していますが、年によって旗の出る比率が異なります。平成25年は見つけるのが苦労するほどでしたが、平成28年は一枝にひとつ程度の割合い、平成29年にはいたるところに旗が見つかりましたが、平成31年は見つけるのに苦労しました。
平成29年4月撮影
中央の花に旗を見ることができます。
平成29年4月撮影
時期によって芽の色が変化するヤマザクラ。この年は緑の葉が美しいタイミングでした。
平成31年4月撮影
平成31年4月撮影
平成31年4月撮影
平成31年4月撮影
平成31年4月撮影
平成26年4月撮影
旌桜寺の境内にはかなり古いソメイヨシノが何本もあります。
平成30年4月撮影
平成30年11月撮影
境内一面彼岸花が咲きます。
平成30年11月撮影
平成30年11月撮影
平成30年11月撮影
令和2年4月撮影
令和2年4月撮影
令和2年4月撮影
ご住職がお堂のお掃除をされていました。
令和2年4月撮影
令和2年4月撮影
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