【桜談義003】宇梶秀夫さん、須田信行さん
平成31年2月撮影
左から、須田信行さん、坂野秀司、宇梶秀夫さん
日立市の天然記念物に指定されていた「空久保のヤマザクラ」の写真を探している中で、「きららホームページの会」の代表をされている宇梶秀夫(うかじひでお)さんに出会いました。宇梶さんが加入している「ひたち巨樹の会」で開催する「茨城・福島の一本桜2019写真展」に写真を出さないかとのお話をいただいて、ご挨拶を兼ねて会場となる日立南部図書館でお会いしました。同じくひたち巨樹の会メンバーで巨樹写真家の須田信行(すだのぶゆき)さんもいらっしゃいまして、巨樹愛好家ならではの濃厚な一本桜談義となりました。
ひたち巨樹の会といえば、『茨城桜見立番付』(昭和58年)の選者である「川上千尋先生」が初代代表を務めた団体です。私にとっては憧れの団体であり、今回のご縁に感謝しています。
この日の歓談を「桜談義」という形で記事にします。
巨樹愛好家、一本桜愛好家の超マニアックな世界を感じていただけたらと思います。
茨城一本桜番付(平成30年春場所)を紹介して
坂野秀司:
こちらが私が発表させていただいている桜の番付です。これは昨年(平成30年)のお正月に発表したものなので、昨年の春に撮影した分は入っていません。さらに今年(平成31年)の春に撮影する分をもって平成の名桜という位置づけとして完全版の番付を完成させたいと考えています。この番付には様々な意図を込めていまして、ただ写真映えがするような順番で並べているわけではないんですね。やはり後ろ側の歴史を含めて順番決めをしておりまして、だからこんな若い桜、樹齢60年ぐらいの桜なんですけど、歴史が圧倒的でありまして、「偕楽園左近の桜」を平成の名桜として横綱に掲げています。
須田信行:
ああ、この桜ね(西の横綱・高萩市松岩寺の山桜を指して)、私の地元なんでね、今は枝がこれしかないんだよね。
宇梶秀夫:
この「松岩寺の山桜」の写真は観光協会から貰ったんだっけ?こちらが2007年だから。
2013年から枯れてきてね、ご住職ももうだめだとおっしゃっていたんですよ。
坂野秀司:
はい、この写真は2005年撮影で高萩市からお借りしたものですね。私が初めて行ったのが2013年なんですが、もう上の方が花付きが悪くて、2014年は花がほとんど付きませんでした。2015年に上部の枝が除伐されたという経緯ですね。ただやはり私は茨城県の桜番付はヤマザクラを横綱に挙げたくてですね。川上千尋先生の昭和58年の番付で「松岩寺の山桜」が東の横綱になっていますよね。なのでそちらの番付内容に敬意を表して、若い横綱と今までの横綱という形で作せていただいて、大関は全部エドヒガンザクラ、エドヒガンシダレで構成して、その下にまたヤマザクラが入ってくるという風にしました。「真鍋の桜」は五本桜なので行司としました。
宇梶秀夫:
真鍋小学校のね、あれはソメイヨシノだもんね。
坂野秀司:
はい、そして川上先生の番付と同じように名誉横綱を立てさせていただいて、(茨城町の)「大戸の桜」と、川上先生の番付では「八郷・吉生の山桜」と載っているのですが、同じ桜で「神生家の殿桜」ですね。
宇梶秀夫:
八郷?ヤマザクラだね、今もあるんですか?
坂野秀司:
あります、樹齢750年とご当家の方が言っていました。毎年満開です。この2本は関右馬允(せきうまのじょう)先生の本にも出てくるような桜なので名誉横綱とさせていただきました。
宇梶秀夫:
(神生家の殿桜は)屋敷にあるの?見てみたいね。
坂野秀司:
お屋敷の入口にありますね。外なので勝手に観ていっていいよとおっしゃってくださってます。これは圧倒的です。日立市で言うと「諏訪の山桜」。あのような幹周りの貫禄がありますね。
宇梶秀夫:
「諏訪の山桜」はなかなか見つからなかったとか(坂野さんの)ホームページに書いてありましたね。
坂野秀司:
入口を探すのが大変でしたね(笑)
須田信行:
わかっていれば学校の脇なんだけどね、校庭の端っこでね。
宇梶秀夫:
私もここら辺までしか撮れなかったね。(宇梶さん撮影の諏訪の山桜の写真を見て)
坂野秀司:
ああ、いい写真ですね。なかなか樹高があって花と幹を一緒に撮るのが難しいんですよね、素晴らしいです。今まで見た「諏訪の山桜」の写真では一番いいですね。なるほど。
宇梶秀夫:
周りに木があるからね。切ってくれるといいんだけどね。小学校の校庭脇にあるけど個人所有の桜なんです。
坂野秀司:
氏神様が祀られていますね。
宇梶秀夫:
そうそう、こっち側にね。いやよく行ってますね。だいたい私らが知らない所結構行ってらっしゃいますね。
坂野秀司:
茨城県内の古木に関しては400ヶ所撮影取材済みです。この写真番付に載っているのは97枚なので本当にごくわずか、400ヶ所の総括がこの番付です。ただ、まだ見つけていて花が咲いている時に撮っていないっていうのがあと50本ぐらいはあるので、それをなんとか今年撮影したいと思っています。ただもう番付の上の方には出てこないですね。中段以下には入ってくるでしょうけど。
で、合わせて実は福島県も周っているんです。これが今のところ周った120本ほどをまとめた「福島県桜型録(カタログ)」です。こちらが私の原点です。福島県の桜で一本桜の魅力にやられてしまったもんですから。
宇梶秀夫:
元々スタートがいわき市だよね。出身がいわきなんですか?
坂野秀司:
いや出身は茨城県の美野里(小美玉市)です。会社の転勤で東北をあちこち引っ越してまわりまして、いわき市に居た時に一本桜に目覚めてしまったわけなんです(笑)
宇梶秀夫:
須田さんもね、福島の桜は周っていますよ。
須田信行:
いやいや大したことないですよ私は。毎年何本かずつね。
宇梶秀夫:
「福聚寺の枝垂れ桜」はこんな綺麗に観れなくなっちゃったね。周りに建物が建ってきちゃってね。
「雪村桜」いいね、雪村庵は結構花の時期が長いんだよね。
「忠七桜」もいいし、これ上手く撮ったな、これ上?こっち側から?
坂野秀司:
そうです、向かいの高い場所から(笑)
私が好きなのは郡山市の「紅枝垂地蔵桜(ベニシダレジゾウザクラ)」ですね。やっぱり妖艶で。
宇梶秀夫:
こっち(紅枝垂地蔵桜)より、こっち(三春滝桜)の方が(開花が)早いんだよね。
須田信行:
いや、本当に福島はあるなあ。10分の1も行ってないんじゃないかな。
宇梶秀夫:
この前行ったとき岩倉の桜の前で演芸会をやったでしょう?
須田信行:
葉桜に近かったかな、遅かったんだわ。
坂野秀司:
(平田村の)「岩倉桜」ですね、あれも名木ですね。
この資料を(福島県桜型録)作るのに10年かかってますからね、毎年コツコツと(笑)
須田信行:
宇梶さんの「花園の枝垂れ桜」があるけど、ちょっと遅かったねあれはね。
坂野秀司:
花園は私が行った時には風が吹いてて、水に映らなかったんですよね。
宇梶秀夫:
花園はそうだね。水に映したいしね。
須田信行:
「戸津辺の桜」はちょっとあれだけど?
坂野秀司:
これは霧ですね。本当は青空で撮りたいんですが、なかなかチャンスがなくて。
福島県の震災復興応援の気持ちも含めて開催
宇梶秀夫:
去年(ひたち巨樹の会で)やった写真展が「春です 一本桜 福島」というテーマです。こんな雰囲気で、福島県の震災復興応援の気持ちも含めて開催しました。今年は福島と茨城でやろうと思っています。
坂野秀司:
ああ、このような写真展をやられていたんですか、「小川諏訪神社の枝垂れ桜」
やっぱり素晴らしいですね。有名どころは全部押さえてますね。
「茶園の桜」二本松市も良いですよね。「中島の地蔵桜」とかね。ああ、大御所は押さえてますね。
須田信行:
合併して二本松市となったから余計多くなっちゃったよね。
坂野秀司:
素晴らしいですね、こういう写真集までお作りになって。写真を撮って紹介していいですか。このような取り組みをご紹介させていただきます。まさか茨城県で福島県の桜の展示をやられているとは。驚きです。
宇梶秀夫:
結構ね、「ひたち巨樹の会」の仲間で、福島出身の方がいらっしゃったりとかするんですよね。地元でうちの近くのやつがあるとかね。
坂野秀司:
もし講演とかをやらせていただければ、そのような時に桜番付を人数分用意してお配りしたりできます。それとこちらは私が勝手に作っているんですが『常陸国一千年の桜史』という、奈良時代から続く桜の歴史をピックアップして年表にしたものです。あとこれが『偕楽園桜型録(カタログ)』です。偕楽園は梅ばかりじゃなくて桜が凄いんですよということをお伝えしている資料です。
宇梶秀夫:
番付は観光協会に持って行った?
坂野秀司:
いえ、持って行ってないです。まだ中途半端な状態なので、やはり今年の春までの平成の集大成で完成させることが目標なものですから、平成時代が終わるまではこういったものはあまり表立っては配らないようにしています。欲しい人には差し上げていますけどね。
宇梶秀夫:
カタログとかそういった表現になっていますが、まだカタログ(本)にはなっていない?インターネットには載せていますか?
坂野秀司:
インターネットには載せています。ただ大々的にはあえて告知していません。やはり平成が終わって完全版を作りたいと考えています。
あとこちらは、私が在籍している「水戸桜川千本桜プロジェクト」の代表が歴史の先生で、非常に桜の歴史に詳しい方で、その方の記事ですけどすごく参考になるのでよかったらどうぞ。私たちは徳川光圀公ゆかりのヤマザクラの地に植樹を進めていまして、そこに石碑を建てたんですね。その石碑を建てるのに寄付を募りまして、その返礼品として一本桜の写真集をお返ししたんです。こちらはそれのコピーです。内容は番付と一緒です。
須田信行:
表紙の書は誰が書いたの?
坂野秀司:
これは「笹島沙恵さん」ですね。武田早龍さん(武田早雲さんの弟)のお弟子さんです。
宇梶秀夫:
この「面野井の枝垂れ桜」って、お墓の中にあるやつだよね。私、つくばの方に行った時に観てます。近くにバスを停めてね。
須田信行:
ああ、行った行った。これだね。
坂野秀司:
そうです、天狗党に参加した高谷篤三郎という豪農の名家のお墓ですね。
宇梶秀夫:
たぶん坂野さんのホームページか番付を見てここに行こうと計画しました。
坂野秀司:
ああそうだったんですか。実はこれは昨年の春前にこっち側の枝が折れてしまいました。
やはり老木はしょうがないですね、日々こうして衰退していきますね。
宇梶秀夫:
去年と今年は違うからね。
須田信行:
河原子中学校の前の桜見たことない?
宇梶秀夫:
ヤマザクラだね。
坂野秀司:
ないです!
須田信行:
河原子中学校の東100mぐらい、体育館の脇のところから海の方左前方を見ると、ちょっと上の方に見えるよ。脇を上がっていけばわかるんだけどね。
あとは鏡徳寺。あそこにもあるんですよ4m近いです。4mちょっと超えたかな。
坂野秀司:
え?そうなんですか!知らないですね!
宇梶秀夫:
あれはヤマザクラかな。お墓の中だね。
須田信行:
西の一番高台の所。左手見て高いところだね。ただ去年ちょっと遅かったな。
坂野秀司:
それすごい貴重な情報ですね。
須田信行:
鏡徳寺は去年4月3日に行ってますけどね。
坂野秀司:
去年早かったんですよね、10日早かったですよね。
須田信行:
あとは南中郷の粟野という所だけど知らない?お墓にあるんだけどね、4.5mぐらいのヤマザクラ。
坂野秀司:
先日場所を教えていただいたやつですか?日立市の?
須田信行:
あれは違うね。あれは「空久保の山桜」でしょ?
宇梶秀夫:
空久保は問い合わせいただいて、須田さんがすぐに所有者のお宅に行ってくれたの。
坂野秀司:
ええ?そうだったんですか?写真ないですかね?
須田信行:
桜の写真はないね。
坂野秀司:
結局ですね、平成時代の集大成をやるのに、「空久保の山桜」だけが天然記念物の桜で番付に入っていないんです。それがもう悔しくて悔しくて。
宇梶秀夫:
で、問い合わせいただいたきららのホームページに載っている写真は画像が小っちゃくてね。
2枚両方とも撮った人が生きてなくて聞きようがないんだよね。だから「お宅に残ってませんか?」と須田さんが行ってくれたんです。(笑)その後別な人から写真送りますと来たけど、それは青々とした竹の中の写真だったからね。
須田信行:
そう、竹藪の中だったからね。(桜が弱った原因として)竹が邪魔したんじゃないかって話ですよ。
坂野秀司:
空久保は老衰と言いますか、枯れたんですか?それとも倒れたんですかね?
須田信行:
大風で3本だった枝が2本倒れちゃって、1本残ったのが空洞だったんだって、じゃあもうだめだろうって切っちゃったの。
坂野秀司:
ああ、そうだったんですか。南中郷とおっしゃったのは茨城県ですか?
須田信行:
茨城県です。北茨城市中郷町粟野。南中郷駅の北側の踏切をずっと西の山の方に向かって1.5kmぐらい行くと右手に見えるんだ、高台のお墓の所に幹周り4.5mぐらいのヤマザクラがあるんだ。ざっとだけどね、目の子だけどね。はっきりとした数字ではないけど4m超えてますから。鏡徳寺は5m近いからね。
坂野秀司:
(笑)それすごい話ですね。ありますね。全然知らないです。
須田信行:
あとは炭鉱跡なんだけどね。中郷鉱っていって炭鉱跡ね。ちょっと行くとトンネルがあってその手前、県道10号線。トンネル100mぐらい手前右手の高台。これは3.7、8mのヤマザクラだから。
坂野秀司:
あらあ、、、
須田信行:
車を停めるスペースはあるから。
宇梶秀夫:
それ会報に載ってますよね?
須田信行:
会報に載っています。その中郷のやつも載せたし。
宇梶秀夫:
ひたち巨樹の会の会報誌に今話が出たものは全部記事が載っているんです。鏡徳寺もね。
坂野秀司:
へえ、、、、、
須田信行:
南中郷は4月の中頃かな。
坂野秀司:
まあ、そのあたりでヤマザクラでしょうからね。
須田信行:
それとあとね、あと1ヶ所見たでしょ、村山家の桜。あれちょっと枯れ枝が始まっちゃったね。
大枝のところね。そこも立派な5m近いヤマザクラなんだ。
ここはね、高萩市●●、村山さんて家があって、時期にいけば右手に大きな桜が見えるから。それ去年あたり8日頃咲いちゃったな。
宇梶秀夫:
ヤマザクラ立派だよね、お宅も立派だけどね。
坂野秀司:
それもヤマザクラですか。去年は早かったんですよね本当に。名家なんですね。
須田信行:
知らないやつではそこらかな。ここらの近辺ではね。あとは「宮澤桜」はわかるでしょうからね、「文添の山桜」とね。後は「旧大能小学校の山桜」今は生活改善センターとかそういう名前だね。花貫ダムのところ上がっていくんだよね。
坂野秀司:
あとは日立だと「山野辺家家臣墓地の山桜」あそこは「薬師面墓地の山桜」として入れてます。あれは城南ですね。水戸藩家老の山野辺家の家臣墓地があってそこにでっかいヤマザクラがあるんですよね。
日立でシダレザクラの古木なんていうのは見つからないですね、消防署のあれぐらいしかないんですよね。
須田信行:
ないね。
宇梶秀夫:
ないね。きららの会でね、日立のシダレザクラを全部こことここがあるというのをまとめようと。この前調べたんだけども、日立の市民会館ってのがあって、そこの近くにシダレザクラがある、●●さんってお宅にね。そのシダレは結構大きいですね。
坂野秀司:
あとは下深萩町の小学校跡地に「菅の山桜」というのが、昔ひたち巨樹の会さんで作った「日立巨樹マップ」に載っていましたので撮りにいきました。あれも樹齢100年以上だってお宅の方が言ってましたね。太いヤマザクラです。
この辺だけでもこれだけ出てきちゃうってことは相当ご存知ですね?これ全部聞いたことがないですもの(笑)
須田信行:
いやそんなことはないですよ。村山さんの電話番号お伝えしておきますよ。須田から聞いたと言ってくれれば大丈夫だから。
坂野秀司:
ありがとうございます。「村山家の山桜」という感じでしょうかね。いいなあ。
講演について
宇梶秀夫:
えっとじゃあ、あれかな、講演はどうします?4月は難しい?
坂野秀司:
はい、とにかく春が忙しいんですよね。比較的時間が取れるのは土日であれば3月中旬前ですね。
3月下旬は県南県西の桜が咲いちゃうんです。
4月は平成最後の桜を撮り歩かないと本当に今年だけは最後なんで。平成が終わればいくらでも時間作れるんですが。4月30日越えちゃえば。
須田信行:
去年は偕楽園の左近の桜は3月29日に行ってるんですねこれ。
坂野秀司:
早かったんですよね、普通は4月中旬なんですけどね。
それか後はゆっくりですよね、今回見送って、今後とも是非勉強させてもらいたいので、じっくり企画を練って、たとえば来春の2月や3月の桜の季節の前などにできればと思います。
宇梶秀夫:
じゃああれだね、慌てずにだね。来年3月、桜の前にやりましょうかね。
坂野秀司:
ひたち巨樹の会さんは年間通して色々な巨樹を追いかけているんですか?
須田信行:
そう、観察会は1泊と日帰りと2回やるんですよね。近くで行ける範囲だから去年は山梨に行ったんです。その前が埼玉。
桜の写真集を見ながら
坂野秀司:
この写真集を見せていただいていいですか。
※写真にはどこの桜かは記載されておりません。
これは「駒桜」ですか?2016年に雪で枝が折れちゃいましたね。
宇梶秀夫:
今回展示する予定の写真集です。「駒桜」は桜番付では大関だったね、折れちゃった?
坂野秀司:
折れちゃいました。
これは「阿弥陀寺の枝垂れ桜」だな。
これは福島県ですかね?知らないですね。
宇梶秀夫:
これは「弘法桜」が左端の方に見えてるけど、「弘法桜」を観た帰りにそこへ寄ったの。安達太良山が向こうに見えてね。それが良くてね今回出したの。「和尚壇の桜」だね。ここに学校があったんじゃないかな。
坂野秀司:
これは「泉福寺の枝垂れ桜」だな。
ああこれ「越代の桜」ね、いやあ圧倒的ですよね。
「偕楽園左近の桜」
「新田の大山桜」もいいですよね太くて。
えーとこれは「下妻」(多宝院の枝垂れ桜)ね。
「外大野の枝垂れ桜」
「六地蔵寺の枝垂れ桜」
これはいわき市ですね。
須田信行:
そう「楞厳寺(りょうごんじ)の桜」ね。
坂野秀司:
これも立派なエドヒガンですよね、いっぱいあるんですよね。
あ、「石割桜」
これはいつですか?去年ですか。
ここに枝があったんですよね。
宇梶秀夫:
「石割桜」、折れたんだよね。
坂野秀司:
えーとこれは?
須田信行:
これは「高萩の枝垂れ桜」っていうんだけど。
坂野秀司:
あ、白河ですね。
あ、これね紅色が強い「乙姫桜」
これはその近く「護真寺の枝垂れ桜」かな?あれ違うか。
須田信行:
「乙姫桜」は遅かったんだよね。一週間ぐらい遅くてね。
違うそれは「萬福寺の桜」、色が褪せちゃってね。
坂野秀司:
ああ、「萬福寺」は知らないですね。行ったことないです。
これも行ったことないな。
須田信行:
えーと、「古内の桜」だね。
坂野秀司:
あこれ是哉寺ね、「是哉寺地蔵桜(ゼザイジジゾウザクラ)」
これは「上岡の江戸彼岸桜」ですね。「宮澤桜」これが「文添の山桜」ですね。
そしてこれは?これはパッとわかんないですね。
宇梶秀夫:
それがね、「根宿の桜」。
坂野秀司:
「根宿」ってどこですか?茨城県内ですか?
宇梶秀夫:
矢吹町だと思うよ。
坂野秀司:
つまり茨城県じゃないですね。茨城じゃなければ一旦は安心です(笑)
焦っちゃいますからね(笑)
こちらは「旧瑞龍小学校の瑞桜」ですね。瑞桜も枝が一部折れちゃいました。
宇梶秀夫:
折れちゃったね。向こうに建物建てちゃったからね。
須田信行:
折れちゃったの?
坂野秀司:
枝折れちゃいました。樹観がだいぶ変わっちゃいましたね。
でこれがさっきのですね。
宇梶秀夫:
これはこの近くの「オオシマ」そこら辺に見えるやつですよきっと。
坂野秀司:
大島桜?でかいなこのオオシマ。これ太いですね。
これどこですか?日立でオオシマはちょっと。
宇梶秀夫:
大きいかもしれないね。
線路の向こう側、日立商業高校の南側。
こっちがオオシマでこっちにヤマザクラがあって、下に見えるのがソメイ。
坂野秀司:
やはり日立大煙突とオオシマザクラの物語があるので、日立でオオシマザクラが咲いていると特別なものがありますね。こんな太いのは見たことがないですよ。
ああこれは「松岩寺の山桜」ね。
これは「不動桜」だな。
えーとなんとか泉寺、えーと滝桜の妹だとかの「永泉寺の枝垂れ桜」ですね。
これは「弘法桜」だ。
宇梶秀夫:
そこから見てさっきの「和尚壇の桜」が見えたんで。
それはあれかな「大庄屋桜」
坂野秀司:
ああ「大庄屋」、よく出てますね。
これは「芹ヶ沢の桜」かな。
これが「種蒔き桜」だ。
「滝桜」ね。
えーとこれは「戸津辺の桜」ですね。
この色合いは「忠七桜」ですね。
これ良いんですよね忠七は。
宇梶秀夫:
「忠七桜」。それもね、戊辰戦争の時に会津と長州で戦争して、会津の人がかなり死んだよね。それの手伝いに行った人が供養のためにそこに植えたらしいですね。
坂野秀司:
「忠七桜」は好きなんです私も。
これカメラマンにも人気が高いですよね。
これね「雪村庵の枝垂れ桜」
ん?これはわからないな。
宇梶秀夫:
それはね、「金毘羅桜」かな。
金毘羅さんに行った記念に植えたとか。
坂野秀司:
これはあれですね「合戦場の枝垂れ桜」ですね。
合戦場もだいぶ周辺が整備されましたね。
「小沢の桜」これね、枝がここにもあったんですけど折れちゃったんですよね。
須田信行:
前は上にもあったよね。
宇梶秀夫:
あとは「花園の枝垂れ桜」、「七草木」
坂野秀司:
あ~「七草木の天神桜」ですね。いつも下の方から眺めて終わっちゃうので気が付かなかったです。
あとはこれは「塩ノ崎の大桜」ですね。枝が一度地面に着地して立ち上がっているんですよね。
さらに「紅枝垂地蔵桜」「中島の地蔵桜」「合戦場の枝垂れ桜」
合戦場はこの手前の建物が今はないですからね。
宇梶秀夫:
無くなったね、無い方がいいと思ったら無くなったんだわ(笑)
坂野秀司:
そして「福田寺の枝垂れ桜」
これも「滝桜」の系統ですよね。これの子供が「合戦場の枝垂れ桜」ですね。
これと「滝桜」と「合戦場」はつながりがあるんですよね。
宇梶秀夫:
「合戦場の枝垂れ桜」は2本一緒なんだよね。
坂野秀司:
そうですね、二本桜なんですよね。
だいたいですが、全体の1割ぐらいわからなかったですね(笑)
いやあ是非今後とも交流させていただいて、勉強させていただければと思います。
ひたち巨樹の会について
宇梶秀夫:
ひたち巨樹の会に入会しませんか。活動できる人があまりいないんですよ。
私が今会報誌の編集をやっているんだけども。
須田信行:
宇梶さんにやってもらわなかったら誰もできる人がいないからね。
坂野秀司:
各地の団体さんも、若い人の取り込みという課題を抱えてしまっているケースが多いですね。
「ひたち巨樹の会」というのはいつ頃立ち上がった団体なんですか?もうずいぶん経ちますよね?
須田信行:
昭和の時代だから。昭和62、3年だよね。
坂野秀司:
昭和ですか。
宇梶秀夫:
発端は「関右馬允さん」のお宅の押し入れに巨樹写真の乾板がたくさんあって、それを「川上千尋先生達」が汚れている乾板を一生懸命拭いて博物館に持っていって、大きな写真にプリントして、デパートなどで展示会をやったのかな。で、評判が良くて会を作ろうってことになったの。
たまたま本の出版などをやっていたE本さんって人が事務局としてやってくれたの。だから本も出したしね。
坂野秀司:
当時のひたち巨樹の会名義の本が何冊か出てますよね。関右馬允さんのとか。
須田信行:
関右馬允さんはすごいよね。まもなく封切りになるだろうけどね「ある町の高い煙突」ね。
坂野秀司:
たしか明日が試写会ですね。実際に公開は6月ですね。桜がいっぱい出てくるといいんですけどね。
小説は読んだんですけど桜は出てこなかったですね。
あの煙突のまわりの山一帯は全部オオシマザクラなんで出てもらわないと困っちゃうんですけどね(笑)
須田信行:
御岩神社の三本杉は出ない?わかんないけど。
宇梶秀夫:
少しは映るんじゃないの(笑)
御岩神社の三本杉のところに、許嫁の人がいるのに鉱山の技師の妹に近寄り過ぎているのが心配になり、母が夜な夜な藁人形を杉の木に打ち込んで呪ったという話を昔の宮司さんのお孫さんに聞いたんですよ。実際に釘が杉に打ち込まれていて抜きにいったと。関右馬允さんの時代の釘かどうかわからないけど。
坂野秀司:
うわ~、面白い話ですね(笑)
須田信行:
毒の煙をなくしたまえ、天に召し上げたまえ。要するに死んでくれと祈ったわけだ。自分の孫娘が結婚できなくなっちゃうと困るから。
宇梶秀夫:
その妹は肺結核かなにかで死んじゃった。小説には書いてありますけどね。
小説のフィクションをどこまで忠実にやるのかわかりませんけど。
番付と川上千尋先生
坂野秀司:
以前川上先生を訪ねて番付をお見せしたんです。そうしましたら、太田一高の校庭のソメイヨシノを案内してくださったり、ご自宅に招いていただいて色々な資料を見せていただきました。
須田信行:
先月巨樹の会の女性メンバーと会いに行ったばかりですよ。先生は元気だけど立ち上がるのがやっとという状況だったね。
坂野秀司:
川上先生が作った桜やイチョウの番付は巨樹の会のみなさんはお持ちですか?歴史館でコピーした原本に近い状態のものがあるので、もしよかったら次回お持ちしますが。
宇梶秀夫:
それはね、会報で全員に配ってるね。
歴史館?
坂野秀司:
歴史館の文章館で保存されているんです、綺麗な封筒の中から出てくるんですよ。ほぼ原本ですねあれは。
日立名巨樹や太田名巨樹番付などもありましたね。
須田信行:
川上さんもよくやったもんだよね。若いからね。
坂野秀司:
その歴史館に所蔵されていない桜の番付、いわゆる桜番付の2作目を、笠間市の陶芸家の先生が持っていらっしゃったんです。
なぜその先生が持っていたかといいますと、笠間市の南指原に幹周り7.7m、茨城県内で一番太いヤマザクラだったんですが、これは今は伐採されちゃいましたけど、先生はその桜を愛してらっしゃって、ただ、川上先生の『茨城桜見立番付』には、このヤマザクラが載っていなかったので、どうやったら番付に載せてもらえるのかといった話をご友人としていたそうなんです。その兼ね合いで2作目の番付をお持ちだったんです。次回コピーをお持ちします。
宇梶秀夫:
そのヤマザクラはいつ頃切られたの?一生懸命探して行こうかと計画を立てたことがあるような気がするんだよな~。
坂野秀司:
お墓の管理で切ったのは2011年頃です。
須田信行:
倒れると困るというのもあるし、葉っぱの掃除だとかね。
宇梶秀夫:
うちの生家のお墓もね、ヤマザクラの大きいのがあって、最近はお墓も立派なものを建てるでしょう。50軒ぐらいの墓地で、枝が落ちたりして墓石を壊しちゃうと大変なお金を取られるから、心配になって全部伐ったの。すごくお金がかかったよ、そしたら2本あったんだね。こういうのがね。
坂野秀司:
うわ~、結局やむを得ない理由というのが色々あるんでしょうね。
切らないで古くなって倒れて、そのお宅の墓石を傷つけちゃうと大変な問題になるということですね。簡単に切られちゃうというけど、切る方にも理由があって、切らざるを得なくなっちゃうということですよね。
S市の墓地に咲くヤマザクラなども、とあるお宅の区画に咲く桜なんですが、共同墓地の他の方々からは、管理が大変だから切っちゃってくれといわれているそうです。昔はそのヤマザクラ以外にも巨樹があったそうなんですが、それらは切ってしまったそうで、ただそのヤマザクラだけは切れないと、所有者さんは言うんですよね。まさにこれが現実問題ですよね。
宇梶秀夫:
そのヤマザクラは残っているんだ?
坂野秀司:
残っています。なのでいい話だなと思いまして。ただこの先はわかならいですよね。その方が代替わりしたり、価値観が変わっていく時代ですからね。
なので、やっぱり写真とともに記録を残しておかないと、見れなくなってしまうという思いで私は活動しています。各地の桜それぞれに守っている人がいて、エピソードがありますからね。そういうお話を聞くとたまらないですよね。
宇梶秀夫:
巨樹はね、俺たちよりは歴史を持っているんだよね。本にそういうことも書いて記録すると良いよね。これからも残してほしいとかね。
宇梶秀夫:
今日はありがとうございました。
ひたち巨樹の会に入りたかったらぜひ。
坂野秀司:
年会費いくらですか?
宇梶秀夫:
メールで会報誌を受け取る人は2,000円
坂野秀司:
年間2,000円なら入ります。今後とも色々と勉強させてください。
本日はありがとうございました。
この歓談の約1ヶ月後に開催されたひたち巨樹の会の写真展。
私の作品も3枚展示していただきました。
さらにその2ヶ月後、ひたち巨樹の会の総会、観察会に会員として参加させていただきました。
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