【講演】茨城デスティネーションキャンペーン!集大成!皆様の【桜の概念】を更新します。1300年の圧倒的歴史観植え継ぎと保存の伝承知られざる巨桜の数々頂点を迎えた染井吉野群筑波桜川から始まった常陸国1300年の桜史は、令和の現代、日立に着地する!最前線をお見逃しなく!◾️まだ空席あります◾️茨城デスティネーションキャンペーン!「さくらのまち日立」の さくらに触れよう! さくらを学ぼう!↓令和5年12月17日(日)10:00〜16:00 「体験王国いばらき・茨城デスティネーションキャンペーン」の一環として、令和5年12月17日(日)に、さくらに触れて、学べるイベントが午前午後の2部構成で開催されます。 私は午前の部、さくらのまちづくり講演会で「日立そして茨城県の名桜」をテーマに写真解説上映をします。 午後からは日本花の会の和田先生による「さくらを元気にする技能講習会」があります。 年内最後の桜イベント!桜の新たな発見や体験をしてみませんか。 当イベントの参加費は無料です。 11月1日(水)から申込み受付が開始されました。定員は先着各部80名となっております。皆様のご参加をお待ちしております。 イベント案内ページ2023.11.28 22:00
【講演】茨城県桜今昔絵巻【11/26(日)講演】茨城県桜今昔絵巻 釜めし処みなみさん10周年記念イベントとして開催しました。茨城県の桜、その記録の歴史を紹介。日立の偉人「関右馬允(せきうまのじょう)」によって、百年前に撮影された茨城県の巨桜。当時の写真と現代の写真を比較上映。そして、記録の歴史とその意義について解説します。先人が残してくれたから観れる桜。さて、私たちは郷土に咲き誇る桜風景を百年後に残せるでしょうか?後半は超臨時企画「水戸桜川千本桜プロジェクト稲葉代表による牧野富太郎」またこれが大好評。最後に茨城県のイチョウ上映。季節感あふれるスイーツは絶品。切り絵作家竹蓋先生からは桜の絵葉書と手提げ袋のプレゼント。会場にはひたち巨樹の会の方々、タウン情報誌リアン・ヴィルのYさんご夫妻も。皆様ありがとうございました。2023.11.26 13:00
【ひたち巨樹の会 巨樹観察会】【ひたち巨樹の会・巨樹観察会】松戸戸定邸→戸定歴史館→戸定邸東屋庭園で昼食→千葉大学園芸学部イタリア式庭園、フランス式庭園、イギリス式庭園。2023.11.12 22:00
【牧野富太郎と水戸の人々】【稲葉先生講演】牧野富太郎と水戸の人々〜松村任三・額賀二郎・五百城文哉初の水戸市民会館で、稲葉先生の講演を聞いてきました。NHKらんまんの感動も冷めやらぬ中での、牧野富太郎(万太郎)や松村任三(徳永教授)をテーマとする講演。水戸藩松岡領家老の子が松村任三であり、また、牧野の娘鶴代と結婚したのが水戸の額賀二郎であるとか、他にも水戸の人々がいかに牧野富太郎に関係していたかがわかりました。この登場人物ですから、もちろんサクラはかかせません。松村任三のヤマザクラ推し、牧野富太郎のソメイヨシノ推しの話が実に面白いですね。ドラマでははっきり出てきませんでしたが、三好学の存在も重要でした。最後に、日光植物園に関わった水戸の人々に痺れました。2023.11.06 22:51
【鹿嶋市】中の墓守桜令和4年4月撮影茨城県鹿嶋市樹高14.6m幹周5.3m鹿嶋市登録文化財鹿嶋市内最大のヤマザクラといわれています。墓地を覆うように枝を伸ばし、花を咲かせていました。参考文献:『森の巨人たち 鹿嶋市の巨樹名木』(鹿嶋市文化スポーツ振興事業団・平成19年)2023.09.17 21:58
【鹿嶋市】鹿島神宮の神前桜平成30年3月撮影写真提供:坂野しげ子(小美玉市)茨城県鹿嶋市 鹿島神宮常陸国一ノ宮。拝殿の右側にソメイヨシノです。台木のオオシマザクラがひこばえで芽吹いています。2023.09.17 21:58
【鹿嶋市】鹿島城山公園の桜平成30年3月撮影写真提供:坂野しげ子(小美玉市)茨城県鹿嶋市 鹿島城山公園平安時代からここにお城があったそうで、本丸跡地が公園となっています。鹿嶋市でお花見といったらここというほど有名。350本以上の桜が咲きそろう風景は圧巻です。2023.09.17 21:56
【鹿嶋市】鹿島家の桜山令和4年4月撮影茨城県鹿嶋市江戸時代から桜山、桜山屋敷と呼ばれている鹿島大宮司家への街道の一部。参考文献:『森の巨人たち 鹿嶋市の巨樹名木』(鹿嶋市文化スポーツ振興事業団・平成19年)2023.09.17 21:56
【潮来市】潮来築地の奇桜平成30年4月撮影茨城県潮来市築地(ついじ)徳川光圀公お手植えの伝承が残る古木で、推定樹齢320年と案内板に書かれています。当初ヤマザクラだと思っていましたが、花と葉を見る限りこれはオオシマザクラ(大島桜)の可能性が高いです。だとすれば茨城県で最も古いオオシマザクラということになります。鹿島神宮の拝殿前にもオオシマザクラ。香取神宮の楼門前の「黄門桜」もオオシマザクラ。江戸時代に潮来にオオシマザクラが植えられたということは十分考えられます。花が珍しいから「奇桜」という名が付いたのか。定かではありません、大きな謎です。主幹は枯れていて、周りからひこばえが成長して花を咲かせています。奇桜は同地区に鎮座する熱田神社の氏子様によって守られているようです。鹿行地区はオオシマザクラの古木が多く点在しており、これは県内でも日立市を除くとこの地域だけに見られる現象です。元々茨城県には野生のオオシマザクラはないはずです。昔、薪木などに利用されるために人の手によって増えたともいわれていますが、果たしていつ頃からオオシマザクラが茨城県に入ってきたのでしょうか。遠い伊豆から鳥が種を運んできた? 光圀公が珍しい桜として取り寄せたのかもしれませんね。(桜狂いの妄想です)尚、関樹木医より下記見解をお聞きすることができました。「オオシマザクラは潮風に強いので、当時はソメイヨシノもオオシマザクラも植えられていたけど潮風で枯れてしまい、結果としてオオシマザクラが残っていったのではないか?と思います。おそらくオオシマザクラが潮風に強いことは、かなり昔からわかっていたらしいので、潮来あたりの地域はサクラ以外でも潮風に強い植物しか育たなかったんだと思います(マツやマキやタブノキとかとか) サクラを植えるときにも、おそらく「潮風が・・・」というのが当時の人たちの頭をよぎっていたのではないかと・・・それで積極的にオオシマザクラを植えていたかな~とも思います。潮来あたりから海側(鹿島や神栖)には極端にサクラ自体がすくないですから、潮来のオオシマザクラは珍しいですね。」(石岡市・関樹木医Facebookコメント転載)いずれにしましても、今となってはこの地域特有のサクラであり、大事に守っていきたいオオシマザクラの古木であります。熱田神社 境内石碑日本武尊、東征の折当地に立ちより、東は鹿島、南向香取、西方遥かに筑波の霊峰を望み、北は北浦に接し展望絶景高燥の地なるを以って戦勝祈願を行ったという。この地にあって尊の命に従い功のあった三十番神を褒め称えた。村人はその跡を都恵地(築地)と称し祠ありしが、大同元年(806年)社殿をつくり日本武尊を祭神とし三十番神を合祀、尊崇した。延宝3年(1673年)水戸藩主・光圀公巡視の折、由来を尋ねられ熱田神社の神号を賜る。2023.09.17 20:58